快走じじいの回想録

北の大地、南の島 旅の思い出をゆる~く。・・・時々今

ぼろぼろの近畿編 13日目 1/2

梅雨空に祟られて「身も心もぼろぼろ」になることを承知で6月6日に発進した東海・近畿の車旅。

 

旅の轍

 

2022年6月18日 樫野埼Pで巡り旅13日目の朝を迎えました。

雨です。 本格的な雨です。

お世話になりました。m(__)m

 

紀伊大島から見た橋杭岩

道の駅 橋杭岩から見た橋杭岩

 

古座川口灯台

本日の1基め 古座川口灯台が見えてきた。(パチリの右下)

近くの漁港にPして雨の中を向かう。

橋の下では雨水が滝のように。

灯台に繋がる道

頭の中で危険を知らせるアラームが鳴りっぱなし。

これ以上踏み込まず。

古座大橋

雨は止みそうも無く早々に引き上げ。

赤丸部分より灯台に近い所にもPスペースがあったが入り口に駐車禁止の看板があったので赤丸部分に停めた。

 

 

 

浦神港口灯台

次は本日2基め 浦神港口灯台へ

浦神港口灯台のアタック入り口に到着、フェンス内にソーラパネルがズラっと並ぶ。フェンスの脇道が砂利道だが車で進めそうなので行けるところまで進む。

この辺に路駐。

百均の雨具で身支度し出発。

ソーラーパネルのフェンス終端を過ぎると幅50cm程度のコンクリート道があった。巡回路の様だ。

ログハウス風の廃墟があった。

灯台が見えた。 門にチェーンが張られているが一礼して入らせてもらう。

厳密に言えば不法侵入なのだろうが、侵入しても取るのはパチリだけ、残すのは足跡だけ。灯台ハンターの勝手な言い訳。許してちょんまげ。(←古!)

浦神港口灯台 到達

どうしたらここまで汚れるんだろう? 日当たり? 風通し?

敷地が狭く敷地外は草だらけ、雨さえ降ってなければ草藪もいとわずパチリするのだが、さすがに濡れた草藪に入る気がせず敷地内のパチリだけ。う~~~ん 納まらん。

 

早々に引き上げ。

路駐した所からの往復時間 10分 アップダウン無し

   

★印が灯台 国土地理院の地図では灯台マークが出なかったため「うみしる」から借用

赤丸部分に路駐

 

 

梶取(カントリ)埼灯台

併設 梶取埼ナミキリ礁照射灯

 

次は、本日3基め 梶取埼灯台へ

梶取埼Pに到着 パチリでは分からないが道の先に灯台が見える。

灯台を含む周辺が公園になっている。天気さえ良ければな~。

梶取埼灯台 到達

風見クジラ ←灯台巡りの先輩の方達全員が”風見鶏ならぬ風見クジラ”と書き残している。

梶取埼ナミキリ礁照射灯

太地は捕鯨が盛んだった土地。

クジラの油だけが目的だった国と捨てるところは無いと言われるまで利用した国

他から油が調達できるようになると、「クジラは哺乳類、捕獲禁止」と声高に叫ぶ人たちの食卓に並ぶ牛の肉 訳わからん。

 

お帰りは足元気を付けて。

引き揚げる。

灯台公開日に再訪したい灯台の一つ。

アプローチも楽ちん太郎だしね。

 

 

宇久井駒埼灯台

宇久井港口灯台

次は、本日 3,4基め 宇久井駒埼灯台と宇久井港口灯台へ

環境省 宇久井ビジターセンターに到着

車を停めて、

舗装路を進む

しばらく歩くと灯台への山道の入り口が見えてくる。

入口

宇久井港口灯台への分岐路 右に進めば宇久井港口灯台 道標は無い。

左側を進んで宇久井駒埼灯台へ向かう

環境省ビジターセンターなので木々に説明板がついている。

途中で海が見えた。

灯台が見えた。ここまで25分 全体的にほぼ平坦な道だった。

木立に囲まれて全体が写せない。

替りばえしないパチリだらけ

海が見えた。

沖合1kmほどの所に建つ大平石灯台
なんと、釣り人(と思う)が居る。

恐るべし、釣り人パワー。

海側から振り返って。

やっぱり木立が邪魔してる。

ビジターセンターの中に建っていて、道標もしっかりしているのでぜひ灯台周りの木々を少しだけ伐採し海と灯台が見えるようにすれば絶景の場所になると思うのはじじいだけか? もったいないのう~

いくら場所を変えても木立が邪魔をするので、か~えろ~

 

宇久井港口灯台への分岐路に来た。左へ行けば宇久井港口灯台

宇久井港口灯台への道は道標も無く急斜面を下る所もある。踏み跡を辿る。

コンクリート階段が現れた。

灯台が見えたが、これ以上近寄れない。旧巡回路と思われるコンクリート道には草木がはみ出してきていて道幅を狭くしている。これ以上進んだら間違いなく”海へドボーン”

無理をせずここからパチリして退却。

赤色の灯塔と海 映える灯台なのに残念。

分岐路からここまで10分弱

右側に灯台へ降りる階段も写っているが、現在の巡回は、海からの様だ。


ビジターセンターの舗装路に戻って来た。

 

Pからの往復時間 1時間20分ほど。

 

次は新宮城に向かう、灯台からお城へ切り替わるので今回はここまで。

 

******************************

台風8号や今夏の異常気象で各地に大雨が降り、甚大な被害が出ています。

被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

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ぼろぼろの近畿編 12日目 2/2

梅雨空に祟られて「身も心もぼろぼろ」になることを承知で6月6日に発進した東海・近畿の車旅。

 

旅の轍 12日目 2/2

 

巡り旅 12日目 1/2の続きです

 

苗我島灯台

潮岬を後にして本日の4基め 苗我島灯台をめざす。

紀伊大島大橋を渡る前のパチリ

 

紀伊大島大橋を渡り切り橋のたもとに車を停めて灯台近くまで戻る。

たまたま陽がさしてくれた。感謝。

橋の上からパチリ

先人の導きによると

このあたりに釣り人の秘密の降り口があり岩場まで下りられると言うが、これ以上はパス。

 

 

串本トウジロ鼻灯台

串本トウジロ鼻西方照射灯

 

次は本日5基め 串本トウジロ鼻灯台

この灯台大島大橋の大島側のたもとに建っている

大島側のたもとに戻る。 トイレもありちょこっと休憩に最適なP。

では、灯台の近くまで行ってみる。

 

先人の導きでは大島に向かって左側に降り口があるとの事だが、柵がガードしていて入り込めない。

柵伝いで奥まで行ってみる

柵が途切れたあたりから入り込めそう。

踏み跡もある。

ここから先は、自己責任の世界です。

柵があって降りられなかった階段に出る。

階段が終わっても踏み跡は続く。

灯台が見えた。

串本トウジロ鼻灯台到達

灯台は、見ていて飽きない。

串本トウジロ鼻西方照射灯

この辺を照らしていると思われる

苗我島灯台が見えた。

そろそろ戻ろ~。

 

車まで戻ってきたら、たまたま地元の漁師さんが居られて、あの丸い生簀はマグロですかとお聞きしたら、そうだ。と それがきっかけで、マグロはエラを動かせないので呼吸するために24時間泳ぎ続けなければ死んでしまうとか、樫野埼灯台に行くんだったら「海金剛」は絶対行け。あれだけの景観は他には無い。などといろんなことを教えてもらった。長年の漁生活で肩が上がらんようになってしまい漁もできないので、あんた(じじいの事)のように全国を周りたいと思っていると仰っていた。

車旅は、漁のように長年の経験は不要です。自分がやりたいように旅するだけです。

いつかどこかでお会いしたいですね。串本の藤次郎さん(仮名)。

 

藤次郎さんに教えていただいた「海金剛」に行きます。

海金剛に着いた。ここには

日米修交記念館が建っていた。

こんな遊歩道を進むと

絶景!

正直、能登の金剛より上だな。 藤次郎さんいい場所を教えてくれてありがとう。

 

「エル トゥールル号 遭難事件」

1890年9月16日夜 目の前のどこかで、現トルコ共和国(当時オスマン帝国)の使節団を載せた船が台風の強風にあおられて岩礁に衝突、沈没し乗組員のほとんどが死亡、行方不明となるなか、わずかに残った生存者を地元民が懸命に救助・介抱した。という海難事件が発生した。 目の前のどれかの岩にぶつかったのかな。

樫野埼灯台の初点は1870年6月なので、「エル トゥールル号」の遭難を見ていたはずだが、荒れ狂う海を前にしてなすすべもなかっただろう。無念だったろうな。

海に投げ出された人達は、荒れ狂う海のなかに一筋の光を見出して必死でその光に向かって泳いだのだと思う。 樫野埼灯台よ、君は立派に自分の責務を果たしたんだよ。ね、うみまるくん。

 

 

樫野崎Pに到着、今日は、ここで夜間休憩。

 

 

樫野埼灯台 

本日6基め 樫野埼灯台を目指す。

 

樫野埼灯台への散策路には、

エルトゥールル号遭難事件を契機として始まった日本とトルコ共和国の親交。

今度は、トルコ共和国が1985年に勃発した「イラン・イラク戦争」でイラクに残された日本人215名を脱出させる方法が無い日本国家に代わり脱出用飛行機を用意し無事に脱出させてくれた。感謝。

 

情けは人の為ならず。 回りまわって自分を助ける。

 

(沖縄の石垣島には、唐人が奴隷として船に乗せられ異国に連れていかれる途中で唐人が反乱、船を乗っ取ったまでは良かったが慣れぬ操船で難破し大勢の唐人が島に流れ着く。島民は親身に世話をしたが介抱の甲斐なく亡くなった方も多く、丁寧に埋葬したという唐人墓がある。かの国も少しはトルコを見習ってほしいもんだ)

 

 

トルコの民芸品店  のび~るトルコアイス

絨毯屋さん

 

などがあり、道も良いので見物してたらあっという間に。

 

樫野埼灯台が見えた。

樫野埼灯台 到達

日本最古の石造り灯台

タッチの差で、展望台へは上がれんかった。

(展望台の閉門時刻の10分前に着いたんだけどね。閉門してた。うみまるくんどう思う?)

旧官舎

 

灯台の周りをぐるっと一周。

 

 

第2等フレネルレンズ

灯台が守る海

可憐な花が咲いていた。

 

さらば、樫野埼灯台 再訪したい灯台だ。

 

 

車に戻り、6基も灯台巡りをした疲れで、プシュ グビグビグビ ぷは~
予定達成の後は あ~ 極楽極楽。

 

でも、この時は、早く喉の渇きを癒そうとそこまで気が回っていなかった。

せっかく灯台の近くで夜間休憩するのだから、灯台に灯が入るまで見てればよかったと。・・・あとの祭り。ぐすん

 

今日の走行距離 119km 累積 1472km

次回は、古座川口灯台、浦神港口灯台、梶取埼灯台、宇久井駒埼灯台、宇久井港口灯台へ向かう。

 

 

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ぼろぼろの近畿編 12日目 1/2

梅雨空に祟られて「身も心もぼろぼろ」になることを承知で6月6日に発進した東海・近畿の車旅。

 

旅の轍 本日分

 

2022年6月17日 道の駅 みなべうめ振興館で11日目の朝を迎えました。

お世話になりました。m(__)m

 

今日から  晩飯に梅干し1個、クエン酸疲労回復。

焼酎のお湯割りに梅干し1個  うめ~ なんちって。

お調子者のじじいは、すっかり梅干しにはまってしまった。

 

灯台巡り 今日の1基目は、番所灯台

 

番所公園めざして走っていたら、海上に何やら 怪しい 見かけない物が、

後に霞んではいるが田中(240122 誤記訂正) 田辺沖ノ島灯台が見えるが、手前のはなんだ?

塔の周りにやたらと何かが付いている。

調べてみたら、田辺中島高潮観測塔/京都大学 だとさ。

海中、海上のいろんなデータを収集しているらしい。

 

番所公園に到着

この公園には第1と第2の二か所にPがあり、第1はこのゲートの手前右側にある。但し公園の開場時刻が8:00~なので早く着いたからと言って早く公園に入れるわけじゃない。グーグルマップで見ると第2Pの方が灯台までの距離が短いようなので最初第2Pに行くが灯台への道が分からず(無いかも)。第2Pは南方熊楠記念館用のPかも。第2Pまでの道が狭く道路工事現場で見かける時間制の一方通行になっている。

第1Pに戻って車を停めて、アタック開始 カラーコーンのある左側の道を進む。

こんなトンネルを抜け

龍がお出迎え

第3広場を目標に進む

ところどころで可愛い動物たちが迎えてくれる。子ウサギの後ろは円月島

ちょっと上り坂

展望台を過ぎ

灯台が見えた

番所灯台 到達

灯台の傍らには猪の親子

さ~帰ろ

猿の親子

ゲートの手前には茂った葉っぱに隠れてトラの親子

公園の看板によると昔は動物園もあったらしい。動物の置物はその名残か?

 

灯台往復 30分程

 

円月島のビューポイントでパチリ

円月島 陸上からはここからしか穴が見えない。

たまには、こんな所でふわふわのベッドで寝てみたいものだが・・・

寝板の上の旅は続く・・・

 

 

本日2基め 市江埼灯台に向かう

目の前の橋を渡り人が写っているあたりに路駐。

何やら見られている気配がするのであたりを見渡したら

にかい? う~ん じじいの知ってる にかい はもっとシワだらけだが?

車を停めて川沿いに進んで橋を渡る

水路に沿って進む

やがて傍らの水路もなくなり山道へ

ところどころのテープを目印に進む

勾配のきつい所もあるが、全体的にコンクリート舗装がされている

石垣で囲われた平地があった。 畑でもしていたのか? 今は雑草が生い茂る。

灯台が見えた

市江埼灯台 到達

中世のお城を思わせる造り(じじいの感想)

LB-M30型灯器

雨水を貯めていたと思われるタンク

電源はソーラーパネル

灯台守が常駐していた時は、この階段を上がった所で野菜でも自給していたのだろうか?

灯台の前は、大きく伐採されていた。割と広めの平地なのでたまに伐採しないと光が木立で遮られるのかもしれない。

少しだけ海が見えた

なかなか見ごたえのある灯台だった さ~帰ろ

橋の所まで戻って来て漁港方向をパチリ 潮が満ちるとここも水面下 だな。

赤丸部分に路駐

往復 1時間10分程

 

 

本日の3基めは、おなじみ潮岬灯台へ

A-COOP VASEO(スーパー)で食料の調達

さすが串本 地物の魚介類がずらり、でも調理できないから買えない。

指くわえて総菜売り場に。

 

食料を仕入れて走っていたら

灯台が見えた。二子島に建つ鵜島灯台

でも、釣り人って必ずいるよな~

 

潮岬に到着 潮岬は3回目

本土最南端も3回目になると感動も薄れる。

ここから、最北端の郵便局に向けて局留めではがきを出す。

なんてことは思いもつかなかった。

局留めの保管期限は何日間だろう。→ 10日間だそうだ。

 

ここに車を停めて灯台までぶ~らぶら

近寄りすぎると写せないショットもあるんでね。

現在の灯器はLB-H120型

120だからレンズの直径は1.2mという事かな。

灯台入り口の有料P

 

潮岬灯台に到達

ここは、橙光会が管理している参観灯台なので300円の寄付金を払い中へ。

田倉埼灯台で説明済みなので、照射灯がどんなものかはもう説明しない。

中央上の岩が米粒岩

潮岬小学校児童の力作

昭和32年10月末日まで現役だった第2等フレネル不動レンズ

石油蒸発白熱灯器、今は電気だが、昭和3年1月18日まで灯油を燃やして光を放っていた。

最上階に上がる

おや?海保の人? 建物の周りで一生懸命パチリ、パチリ

パチリしていた建物

強引に話を聞いたらこの建物の今後の活用方法の検討の為だとか

お仕事中に失礼しました。

もしかしたら次回の訪問時には展示室になってるかも???

 

 

各地の参観灯台を再訪する必要があるが、ついスタンプ帳を買ってしまった。

 

誰が住んでいるんだろうと気になったので、灯台受付のお姉さんに聞いたら近くに建つ潮御埼神社の宮司さんのお宅だそうです。りっぱなお宅だな~。

 

今回はここまで、

前後編に分けます。

後編は、紀伊大島の苗我島灯台、串本トウジロ鼻灯台樫野埼灯台を訪ねます

 

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ぼろぼろの近畿編 11日目

梅雨空に祟られて「身も心もぼろぼろ」になることを承知で6月6日に発進した東海・近畿の車旅。

 

旅の轍

 

前回で告知したように田倉埼灯台の次に立ち寄った「和歌山城」はUP済なのでパス。怒涛の勢いで灯台尽くしの ぼろぼろの近畿編 スタート

 ぱちぱちぱち (ひとり拍手。侘し)

 

繰り返しになるが、2022年6月16日 巡り旅11日目の朝を道の駅 とっとパーク小島で迎えた。

今回の車旅 記念すべき灯台巡りの1基め「田倉埼灯台」に向かう。

越後を発進する時は、田倉埼灯台の沖に浮かぶ友ヶ島に建つ友ヶ島灯台にも寄る計画であったが、心が折れてパス。 折れた原因はなんだ?ってか?

武士の情け 海の男の友情で聞かないでくれ。どうせたいしたことじゃない。

友ヶ島よ、又の機会に・・・・・又の日は来るのだろうか?

 

田倉埼灯台に向かう途中でパチリ 加太港第1防波堤灯台

防波堤灯台の場合は、漁港に向かって右舷側が灯塔色が赤の通称赤灯台

昼間だったら灯塔の色も分かるが夜は見えないだろ?って?

ご心配なく発光色も赤なんです。 ま、この程度の事は釣り人なら全員知ってるでしょ。

それにしても防波堤の先端までかなりの距離なのに、6時過ぎにはもう大勢の釣り人。

恐るべし釣り人の遊びに掛けるパワー。

”上司曰く、この半分でいいから仕事に打ち込んでくれたらな~。”

”部下曰く、そんなにたくさん仕事で使ったら火噴いてぶっ倒れちゃうよ。”

 

本日1基め 田倉埼灯台のアタック場所に到着。

トンビでしょうか? 羽を休めてた。

 

じゃ、うみまるくん案内よろしく。

じじいは、朝飯食いながらここで待ってるから。

ヨーソロー、護岸堤防に沿って先端の方に行きます。

ここが灯台への登り口

傍らに歌碑があった。 「紀の国の・・・」

コンクリート階段を登ること120段程の所で灯台が見えた。総階段数 158段

158段って、数えたのかよ! ヒマ!

田倉埼灯台に到達

灯台の周りをまわってみたが、このアングル以外は、木立が邪魔して断念。

よく読めない。 橙光会さん、新しい説明板にして。お願い。

じじいと同じくらいの歳だ。

最近はどこの灯台も光源はLED

塔の中間に窓が、中にはサーチライトのようなものが。

照射灯と言って灯台前に船の航行に危険な浅瀬や岩礁がある場合にその部分を照らして「ここは危ないから近寄るな」と知らしめる設備。

田倉埼北方照射灯という立派な名前が灯台名とは別に付いている。

危険海域の目印。 向こうに見える島が友ヶ島灯台は向こう側なので倍率の高いカメラでも捉えることは無理。

往復時間 30分弱

 

次は、本日2基め 雑賀埼灯台に向かう。

前方の小高い丘の上に雑賀埼灯台が見えてきた。

雑賀埼灯台到達

この灯台は、灯塔の周りに展望台が作られていて観光地化している。おかげでPは灯台のすぐ横。 こんなのばっかりだと灯台巡りもよゆうのよっちゃん、楽ちん太郎なんだけどね。(楽太郎師匠 早く元気になって笑点に戻ってきてください。)

灯台の周りをまわりながらパチリ

 

ここにはこんな楽しみ方も。

展望台に上がって見下ろしてみた。 線は引いてなかった。

さっき寄ってきた田倉崎などが見えるというが、

霞んではっきりとは見えんかった。

奇麗な花のぱちりを最後に雑賀埼灯台に別れを告げ

 

本日3基め 紀伊宮崎ノ鼻灯台に向かう。

灯台は大概 海岸線の飛び出たあたりにあるがその飛び出たところを、岬、崎、鼻と称している。使い分けの基準は・・・知らん。 地名はそういうもんだと思わんば付き合いきれん。


途中で、ツルハがあったので給水し

他の店でもよくある専用のボトルと会員になれば無料で水を汲めるという例のサービス

旅人にとって、いかにタイミング良く水が汲めるかも重要なポイント。

 

もうすぐかな?

手前の漁港

路駐した場所

灯台の建つ方向を見て、心が萎える 高鳴る気持ちを押さえつつ出発。

しばらくは護岸堤防に沿って進む。

しばらく行くと案内看板、左 宮崎ノ鼻灯台と教えてくれる。右側の小路を進む

こそこそしていると不審者と間違われそうな細い小路を進み

猫がいた。猫の目は明らかに不審者を見る目だ。

お墓の手前を右だったかな?たぶん。

いよいよ山道、ところどころに道標がある。

ようやく岬の鞍部に出た。

灯台に繋がる電柱が見える。その電柱に沿って道がある。

有田(アリダ)市 分かりやすい道標の設置 ありがとうございます。

お礼に今冬もいっぱい食べるぞ、有田みかん

(なぜか今回は、あふれんばかりにすらすらと文章が出てくる。)

この辺の道は、道と言うより斜面。 気を抜くとずずずーと下まで滑り落ちそう。

ようやくアリジゴク道を通過して

先人の導きにも登場するアングルの廃墟に到着 あともう少し。

※先人の導き 先輩灯台ハンターの方達が、web上に残されたアタックルート

このお陰でじじいもアタックできている。灯台のすべてがこの紀伊宮崎ノ鼻灯台のように道標があるわけではない。

紀伊宮崎ノ鼻灯台に到達。

敷地に降りる が 狭い!

敷地が狭く全体が収まらん。

お決まりの橙光会の説明板も無い。

海保の人と灯台ハンター以外誰も来んわなー。こんなとこまで。

釣り人は、先ほどの鞍部で釣るだろうし。

周ってみるが、木立が邪魔をする。

この灯台も光源はLED

パチリも撮り終えたし、帰ろ~。

 

帰る途中で路駐した旅車が見えた。

岬の鞍部になっている所に戻って来た。 

吹き抜ける風の強いのなんのって。アデランスの人は要注意。


誰とも合わないだろうと山道を歩いていたらイケメンの若い釣り人とすれ違う。

灯台まで行かれたんですか?」

はい

「すごいですね」(老人に対するいたわりの気持ちあふれる言葉)

いや~

 

いたわれるうちが花、

 

やめとけ!年寄りには無理!

と言われないように、精進、精進

 

路駐した所に戻って辛かった道中を振り返る。

赤丸部分に路駐。鞍部と表現していた場所は、船越のあたり。 出典 国土地理院

岬の先端のお日様マーク(☼)みたいなのが灯台

 

さらば、紀伊宮崎ノ鼻灯台 もう二度と来ないだろう。と言うより再訪する気力が湧かない。と思う

往復 1時間20分

 

 

本日4基め 紀伊日ノ御埼灯台へ向かう

この岬のどこかに建つ

灯台が見えた。

この灯台も道路のすぐ横 よゆうのよっちゃん 楽ちん太郎

でも道路に傾斜があり路駐は気を付けてね。

灯台前を過ぎて少し走ると今は使われていない(と思う)建物があり、その脇に広めのPスペースがある。

そこからの灯台パチリもグー。

紀伊日ノ御埼灯台に到達

灯台入り口に掲げられた初点プレート

ブログを纏めていて初めて気が付いた。この文字を書いたのは

美浜町立松洋中学校 3年 岡本 昂大

羨ましいぞ 昂大 君の名は紀伊日ノ御埼灯台と共に永遠に残る。

 

 

灯台前に置かれた初点プレート

この灯台は、3度建られている。

初代は、明治28年に建てられて 昭和20年の戦災で消失

    和歌山城の戦災焼失と同じ頃か。

2代目は、昭和26年に再建

3代目は、敷地崩落の恐れが出てきたため、平成29年に今の位置に建替え

ゆえに「灯台ハンター」の諸先輩方のweb情報には、2代目のパチリも出てくる。

初代の形は分からないが、2代目の灯台の形は今の灯台の形と違っていてそれはそれで絵になる灯台だったようだ。

海岸を見下ろし

行き交う船を眺め

ここは橙光会が管理する「参観灯台」では無いが、地元の法人がたまに開放しているみたいだ。19日まで待っていられない。後ろ髪を引かれる思いで立ち去る。

もっと天気の良い日に再訪したい。できれば灯台開放日に。

ちょっと移動してパチリ  

さらば紀伊日ノ御埼灯台 また逢う日まで

 

帰る道すがら道路わきにこんな物が、近くのキャンプ場の入り口の目印みたい。

 

 

さて、本日の灯台巡りは以上なので、スーパー松源で食料を調達し

夜間休憩地の道の駅 みなべうめ振興館に向かう。

みなべうめと聞いて「南高梅」だと察した人、あんたは通だね。

 

南高梅」誕生秘話

和歌山県が誇る梅「南高梅」は、ここ校の園芸部の皆さんが代々優れた梅の木を掛け合わせて生み出した最高傑作のなのだ。だから「 南 高 梅

 

それがこれだ。収穫前の南高梅

上記「南高梅」誕生秘話 ぷろじぇくとえっくす的には有りだと思うけど、

 

和歌山県総合情報誌「和ーnagomi」VoL4によると、

 

高田貞楠(梅栽培農家)が栽培する梅の中に大粒でそれはそれは香りの良い梅の木を見つけた。明治35年のことだった。

それから半世紀後の昭和25年。当時地元には100種類ほどの梅の品種があったのだがこれを優秀品種に集中しようと究極の梅探しを始めた。その結果高田さんの「高田梅」が選ばれた。その調査に尽力したのが県立南部高校の先生と生徒だったこともあり、この最優秀品種は高校名と高田梅にちなんで「南高梅(なんこううめ)」と命名された。

(補足:部高校の田梅の

 

 

ここでは、全国梅産地サミットも開かれている。ちょっと前だけど。

ちなみに今年は奈良県での開催予定だったがコロナで中止。

梅の木

あの  変人 小泉純一郎元総理も立ち寄っている道の駅。

 

ブログを書いていたら口の中がすっぱくなってきたので、今回はこの辺で

 

今日の走行距離 154km 累積 1,353km

 

次回も灯台尽くし。番所灯台、市江埼灯台、潮岬灯台、苗我島灯台、串本トウジロ鼻灯台樫野埼灯台 ・・・の予定だが、前、後編に分けるかも?

 

 

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ぼろぼろの近畿編 10日目 2/2

梅雨空に祟られて「身も心もぼろぼろ」になることを承知で6月6日に発進した東海・近畿の車旅。

 

 

今回は、6月15日 巡り旅 10日目 1/2の続きです。

旅の轍は、前回を見てね。

 

千早城を出発し、だんじり祭りで有名な岸和田市岸和田城に向かいます。

岸和田市営Pに到着

奥に見える白い壁の建物がだんじり会館

生で見てみたい祭りのひとつ。        出典:岸和田市HP

でも、祭りは見る物じゃなくて参加するもの。・・・なんちって。

だんじりの大屋根に立つだけでも、お~怖 なんだけど

さらに右に左にひらりと飛び移るんだから、

もう言葉も無い、大工方はすごい、祭りの華だね。

         

 

2022年6月15日 岸和田城 登城します。

殿 一大事でござる。

なにごとじゃ

お濠がアカミミガメに占領されてしまいました。

・・・・・

お濠の 水全部抜く に加勢を頼むか?

 

 

二ノ丸跡

櫓型トイレ 白壁に「殿」と「姫」のイラストはどうだ?

このところ山城が続いたので、久々にぐるっとお濠を周りながらパチリ

犬走り(草で覆われている石垣下部の平らな所)

石垣の補強の為ではないかと言われているが、

他の城跡ではあまり見かけない、そういう意味で岸和田城の犬走は必見。

大手櫓門 いよいよ本丸へ

天守

・文政10年(1827)落雷で焼失

・昭和29年 再建

八陣の庭 昭和29年の造庭なのでお殿様が見ていた庭とは違うんだよね。

天守受付で名城スタンプを貰う。

見学時間およそ50分

Pの自動販売機に「日本のサイダー」という商品名のサイダーが売っていた。

この日も暑かったので、ちゃり~ん ガタゴットーン

プシュ、 ゴクゴクゴク あ~ うまい! 甘露甘露。 ゲフ

 

 

この後はスーパートライアル阪南で食料を調達し、

銭湯 新町温泉で汗を流す。

正面の玄関はプライベート用、建物の右側にP、銭湯の入り口は建物の左側面。

 


今日は、道の駅とっとパーク小島で夜間休息とやってきたが、


着いてみてびっくりぽん、ここは釣り人御用達の道の駅だった。

道の駅から直接釣り桟橋へ渡れる。というより道の駅からしか渡れない。

暗いうちから続々と釣り人の車が入ってくる。

開場時間を今か今かと待ちわびる人、人、人

車旅の旅人はお呼びじゃない。

釣り道具も持たずに何してんだ?あのじじいは? と皆から思われていたんだろうな。

2022年6月16日 道の駅 とっとパーク小島で11日目の朝を迎えました。

お世話になりました。m(__)m

昨日の走行距離 128km 累積 1199km

今日の立ち寄り地に、ようやく「灯台」が登場。

順番は、灯台→お城→灯台灯台灯台・・・なので

ブログUPの順番を入れ替えて先にお城をUPする。

 

2022年6月16日 和歌山城登城

和歌山城には、思い入れがあって。

じじいが現役の頃、仕事で和歌山市内を通った時たまたま天守の正面が見えて緑色の屋根の奇麗なお城やな~と一目ぼれ、それから20年後にようやく訪問。でもその時は天守を外側から観て早々にさよなら、それから数年後に今回の再訪問。

交差点で停車中にパチリ 左から小天守、大天守、乾櫓

 う~ 何ともポールが邪魔。

 

和歌山城

ご存じ徳川御三家 紀州徳川家の居城

暴れん坊将軍 吉宗は、ここの出身。

昭和20年7月の戦災で焼失

昭和33年10月 外観復元天守で再建

和歌山城公園Pに到着 奥に進む(150518の パチリ)

案内図があった。(150518のパチリ)

新裏坂で天守に向かう Pから天守までの最端ルート(150518のパチリ)

二ノ門櫓が見えた もう少し

天守

天気が良ければこんな感じ(150518のパチリ)

天守ー小天守

天気さえよければ・・・(150518のパチリ)

天守前チケット売り場(右下)で名城スタンプを貰う。 入場料 410円

二ノ門

天守ー大天守

白虎 足の部分に無数の1円玉、5円玉・・・それ以上の高額なコインは???

埋門へつながる階段 

井戸に近い所に設けられた門。 水汲み専用門だな。

御橋廊下 あの高橋英樹も渡ったと誰かに教えてもらった。

傾斜がきつくて歩きにくい。

バカ殿なら、滑り台にして遊んだろうな。

 

 

大手門

例によってお濠に沿ってぶ~らぶら。

岡口門(重文) 門と天守をパチリできるのはここだけとか。

松の丸櫓台

正面の石垣 各時代に積まれた石垣の展示場 と言うが・・・

う~  よ~分からん。

 

城内(公園)には動物園も設けられていて。

説明書きが書かれてからさらに2年経過。 

以上で和歌山城はおしまい。

 

 

では、案内役を「うみまるくん」に交代して

次回は、田倉埼灯台、雑賀埼灯台紀伊宮崎ノ鼻灯台紀伊日ノ御埼灯台に向かう。

 

初めまして、僕 海保のマスコットキャラクター うみまるです。

僕が、灯台ハンター以外は見た事も聞いたことも無いような灯台も含めて紹介します。

う~~~ 緊張するな~。

 

今回は、この辺で。

 

 

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ぼろぼろの近畿編 10日目 1/2

梅雨空に祟られて「身も心もぼろぼろ」になることを承知で6月6日に発進した東海・近畿の車旅。

 

旅の轍 今回は千早城(Map上の金剛山 山の豆腐)まで

 

2022年6月15日 道の駅 吉野路大淀iセンターで巡り旅10日目の朝を迎えました。

お世話になりました。<m(__)m>

 

一晩中雨模様でした。 幸いなことに「しとしとピッチャン」(雨漏り)にはならず ホっと一安心。

高取城に向けて出発。

 

夢創館(高取町観光案内所)に到着

例によって開館前の7時過ぎという超早時間に到着

隣のPに車を停めて

名城スタンプを貰う。閉館時は玄関先にスタンプを用意の情報を得ていたので余裕のよっちゃんで押印。 そのほか、玄関に貼られた掲示物を眺め

確かに比高(麓からの高低差)で比べれば高取城が一番。

では、その高取城

 

2022年 6月15日 登城

こんな山道を走り、・・・対向車来ませんように←こんな朝早くから対向車が来るわけ無い! などと身勝手な「だろう」運転は事故の元。「かもしれない」「鹿いるかもしれない」運転で慎重に登る。

車では、これ以上登れない地点に到着。

細かい雨が降っているので雨具(百均の雨具)を着込んで。

高取城の歴史は、「上の案内板を読んでね」という手抜きをして。

ひたすら本丸目指して

いざ、登城。

のっけから石垣が、家臣の屋敷跡?

おいおい、これを登るのかよ?

崩れかけてる石垣 落石注意

壺坂口門跡

熊が出ても不思議じゃない。

なんだこれ? 階段の真ん中に木が生えてる。

貴重な写真がよ~残ってたな~ えらいぞ高取町。

大手門

大手門跡

十三間多門跡

本日高取城の登城をもって、日本三大山城 登城達成。わ~い(^^) 

しかしこれだけの石材をどこから持ってきたのだろう?

十五間多門跡

新櫓跡、太鼓櫓跡

御神木 くたびれた注連縄が侘し。

天守

本物の熊で無くて良かった。

木彫りの天守 これ切株の上に乗せたんじゃなくて一体物 すげ~

上から見るとこんな感じ。天守台の高さを感じる。

一旦熊君の所に戻って、再度本丸、天守台へ

天守

天守台穴蔵入口  ここの石垣には、古墳の石棺が転用されている。

と、言われてもね~

天守台からの本丸

二ノ丸跡 東屋でしばし休憩。

 

登ってきた道を引き返す。

車を停めた場所からの往復時間は、1時間20分程

天気も悪いし平日だし誰とも会わずに高取城の登城終了。

雨具で蒸れて汗びっしょり。

 

 

次は、千早城に向かう。

千早城は、大阪府なので高取城からの途中で国堺を越えたはずなのに気が付かなかった。残念。

なんかいい感じの建物が。

 

まつまさ駐車場 料金 1日 600円

名城スタンプは「山の豆腐」店内に置いてある。

10分以内の駐車なら無料とか。

もちろん、登城せずスタンプだけ押して帰る人の為じゃなく、豆腐を買う人の為。

 

高取城と違って、良い天気。てか、暑すぎ~。

 

2022年 6月 15日 裏参道から登城開始

千早城跡は今は千早神社の領域なので登城路ではなく参道。

途中に湧き水が、コップも置いてあるので飲めると思うが・・・

裏参道の入り口に到着

途中で金剛山登山の人に追い抜かれ、・・・ もう気にしない。

大軍に攻められても落城しなかった事にちなんで「落ちない」祈祷米でしょうか?

登ります。

あっと言う間にこの高さまで、急な斜面です。側面からの攻城は難しかったろうと。  この程度の高さでも は~は~ぜ~ぜ~・・・途中の小休止は武士の情け、聞かないで。

荷揚げ用のモノレールがあった。

これで登れば楽ちんなんだろうな~と頭をよぎる。

三の丸跡と四の丸跡の中間あたりの表参道に合流した。

パチリは四の丸方向

結構このへんでもうバテバテ

三の丸跡へ、まだ登るのか、

石段を登り切ったら、楠木正成 千早城の戦いで有名な「藁武者」がお迎え。

 

城の守りが手堅くて攻め倦んだ鎌倉幕府軍が兵糧攻めに戦術転換、そしたら数十日後に城の麓に楠軍の武者が、てっきり腹をすかせた武者が最後のあがきと城を出てきたと勘違いした幕府軍 かかれーと攻め込んだら「藁武者」、しまったと思っても遅かった。幕府軍に上から石や丸太を投げつけ楠木軍は大勝利。楠木正成の知恵の勝利。

その他にも、急峻な斜面を梯子を掛けて登ろうとした幕府軍を梯子めがけて油を掛けて火を放って追い返した。とか 大河ドラマには尺が足らないかもしれないが、正月の特番ぐらいには十分成りえる「千早城の戦い」。あ~どこか制作してくれないかな~

三の丸跡 社務所が建っている

史蹟 千早城址 碑

 

千早城の戦い

1333年1月 攻める幕府軍 その数 100万、守る楠木軍 1000 100万と言う数は割り引く必要があると思うがそれでも圧倒的な兵力差

なのに、天然の要害千早城に籠り戦う事100日

ついに幕府軍に勝利

鎌倉幕府の幕引きのきっかけとなった戦い。

 

戦の始まりは、後醍醐天皇による討幕の争い 元弘の乱、初戦では後醍醐天皇が幕府に捉えられ壱岐に流されるなど幕府側が優勢であったが、楠木正成千早城での戦いが諸国武将に伝わり各地で挙兵の動きが広まり鎌倉幕府の形勢が逆転した。

住友吉左衛門 旧住友財閥の当主。 当主は代々吉左衛門を名乗るのがしきたり、したがって何代目の吉左衛門かは???

 

 

これを登れば二ノ丸跡、神社が建つ

 

モノレールの終端

 

神社の右わきをさらに進むと休憩所が、
お昼を食べしばし休憩。

登ってくるときの地図によれば神社の裏手が本丸なのだが、神社の神域として立ち入り禁止。なんの説明もない。もちろん道など無いからここで終わり。

 

今度は、表参道で下城する。

先ずは、神社へ戻る

四ノ丸跡へ

茶店があったが、土日ぐらいは営業するのだろうか?

振り返って四の丸跡方向を。

ここから参道入り口まで約560段の石段 金比羅宮の785段(786段ー1段)や、山寺立石寺の参道を思えばどうってことのない段数なのだが、過ぎ去った年月は肉体的にいかんともしがたく。

ひそかにいつか俺もとお考えの貴方。声を大きくして言いたい。全国行脚をするなら、「今でしょ!、明日という選択肢は無い」。 ふ~ 決まったな。

表参道入り口が見えた。

表参道入口 ね。「藁武者」が立ってるでしょ。単なる飾りじゃないんだよ。

千早城の歴史は、「上の案内板を読んでね」という事で、手抜き。

いや~暑いのなんのって。

表参道入り口前には交番。これじゃ路駐無理。

ここからまつまさPまでもうひと踏ん張り。

ここを右に入ってもう少し。

裏参道から登城して表参道を下って出発点に戻ってきた。

一周 約1時間20分

 

じじいには縁が無いおしゃれな店が

熊までおしゃれ。 ちょっと嫉妬。 (じじいには、サンキあり。)

Pで帰り支度をしているとじじいの旅車は目立つので地元の方と立ち話に、こんな車に寝泊まりして全国の城巡りをしているんです。と話したらその方はすでに城巡り達成者。経験者ならではの有益なお話を聞かせてもらいました。感謝 m(__)m。

お名前も伺わず失礼しました。え~と、千早城なので「竜田川さん」とでも。

え?なぜ竜田川さんなのか?

ちはやふる かみよもきかず たつたがわ ・・・・・

・・・お後がよろしいようで。

 

 

今日はこの辺で、

次回は、今日の後半、だんじり祭りで有名な岸和田城経由、道の駅 とっとパーク小島まで。

 

 

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ぼろぼろの近畿編 9日目 2/2

梅雨空に祟られて「身も心もぼろぼろ」になることを承知で6月6日に発進した東海・近畿の車旅。

 

旅の轍

 

今回は、6月14日 巡り旅9日目 1/2の続きです。

宇陀松山城に向かいます。

まちづくりセンター千軒舎に到着。

名城スタンプを貰う。

細かな雨が降っています。傘必須の空模様。

なかなかの古民家です。

内藤家の旧宅とのこと。

 

千軒舎に車を置いて、建物の裏側を進むと。

登城口に出ます。

りっぱな車道ですが、なぜか?車両通行止め。

まだ工事中なのかと思ったら完成してた。

宇陀松山城の謎です。 市長さん教えて、どうして通行止めなの?。

車道突き当りの駐車場まで登ってきた。

 

宇陀松山城

・標高473mの山頂にある城跡

南北朝時代に宇陀地方の有力国人秋山氏により築城

大和郡山城に豊臣秀長が入部すると秋山氏は退去(おんだされた?)

・その後、豊臣家配下の大名の居城として改修整備が行われて、大和郡山城、高取城と並ぶ大和国支配の拠点となる。

関ヶ原後に入城した福島高晴(正則の弟)が元和元年(1615)大坂夏の陣に於いて豊臣方に内通した疑いで改易(身分はく奪、領地没収)され破却・廃城に。

・近年の調査で、三重天守相当の建物が存在したのではないかとされる。

舗装路が終わりいよいよ山道に。

雨なので所どころぬかるんでいて歩きずらい。

空堀

城域は下草が刈り取られ地形が分かりやすい。

本丸からの眺め。

雨に煙っている。

たくさんの碑が建っていた。

往復登城時間 約50分、 山道の登城口まで登り 10分。

いや~ 靴がびしょびしょ。

宇陀松山城に別れを告げる。



 

すぐ近くの道の駅 宇陀路大宇陀で休息。


 

なんと、  なんと、   な~んと!

せんとくんが居ました。

やっと逢えました。やれやれ。

明日の午後には奈良県に別れを告げる予定なのでぎりぎり逢えた。

今どきなのでしっかりマスクしてますが、せんとくんに間違いなし。

 

喉の渇きをソフトクリームで癒し

足湯で疲れを流し

あ~極楽、極楽

皆さんも、宇陀松山城 登城の後は足湯で疲れを癒しましょう。

 

 

最初はここでウダウダしながら夜間休息の予定だったが、見渡すとどうもTVが写らないようなので道の駅 吉野路大淀iセンターへ向かう。

道の駅 吉野路大淀iセンターに到着

ここもしとしと雨。

道の駅は、定休日。 あけっぴろげな建物で燕があちこちに巣を作っていた。

 

TV受信するには、道の駅の正面は無理っぽいので奥の方の大型車用のPなら何とかなるかなとそちらに移動したら、ばっちり。

 

今日の夕餉は、「柿の葉寿司」 お噂はかねがね、初めて食す。

感想、富山の鱒寿司と外装は笹の葉と柿の葉の違いはあるが、中身は同じかな~

でも柿の葉寿司は一口づつ包んであるから食べやすいね。

 

そぼ降る雨の中、見知らぬ土地でおやすみなさい。

 

6月14日 今日の走行距離 121km 累積 1071km

明日は、高取城に向かう。

 

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