快走じじいの回想録

北の大地、南の島 旅の思い出をゆる~く。・・・時々今

ぼろぼろの近畿編 10日目 1/2

梅雨空に祟られて「身も心もぼろぼろ」になることを承知で6月6日に発進した東海・近畿の車旅。

 

旅の轍 今回は千早城(Map上の金剛山 山の豆腐)まで

 

2022年6月15日 道の駅 吉野路大淀iセンターで巡り旅10日目の朝を迎えました。

お世話になりました。<m(__)m>

 

一晩中雨模様でした。 幸いなことに「しとしとピッチャン」(雨漏り)にはならず ホっと一安心。

高取城に向けて出発。

 

夢創館(高取町観光案内所)に到着

例によって開館前の7時過ぎという超早時間に到着

隣のPに車を停めて

名城スタンプを貰う。閉館時は玄関先にスタンプを用意の情報を得ていたので余裕のよっちゃんで押印。 そのほか、玄関に貼られた掲示物を眺め

確かに比高(麓からの高低差)で比べれば高取城が一番。

では、その高取城

 

2022年 6月15日 登城

こんな山道を走り、・・・対向車来ませんように←こんな朝早くから対向車が来るわけ無い! などと身勝手な「だろう」運転は事故の元。「かもしれない」「鹿いるかもしれない」運転で慎重に登る。

車では、これ以上登れない地点に到着。

細かい雨が降っているので雨具(百均の雨具)を着込んで。

高取城の歴史は、「上の案内板を読んでね」という手抜きをして。

ひたすら本丸目指して

いざ、登城。

のっけから石垣が、家臣の屋敷跡?

おいおい、これを登るのかよ?

崩れかけてる石垣 落石注意

壺坂口門跡

熊が出ても不思議じゃない。

なんだこれ? 階段の真ん中に木が生えてる。

貴重な写真がよ~残ってたな~ えらいぞ高取町。

大手門

大手門跡

十三間多門跡

本日高取城の登城をもって、日本三大山城 登城達成。わ~い(^^) 

しかしこれだけの石材をどこから持ってきたのだろう?

十五間多門跡

新櫓跡、太鼓櫓跡

御神木 くたびれた注連縄が侘し。

天守

本物の熊で無くて良かった。

木彫りの天守 これ切株の上に乗せたんじゃなくて一体物 すげ~

上から見るとこんな感じ。天守台の高さを感じる。

一旦熊君の所に戻って、再度本丸、天守台へ

天守

天守台穴蔵入口  ここの石垣には、古墳の石棺が転用されている。

と、言われてもね~

天守台からの本丸

二ノ丸跡 東屋でしばし休憩。

 

登ってきた道を引き返す。

車を停めた場所からの往復時間は、1時間20分程

天気も悪いし平日だし誰とも会わずに高取城の登城終了。

雨具で蒸れて汗びっしょり。

 

 

次は、千早城に向かう。

千早城は、大阪府なので高取城からの途中で国堺を越えたはずなのに気が付かなかった。残念。

なんかいい感じの建物が。

 

まつまさ駐車場 料金 1日 600円

名城スタンプは「山の豆腐」店内に置いてある。

10分以内の駐車なら無料とか。

もちろん、登城せずスタンプだけ押して帰る人の為じゃなく、豆腐を買う人の為。

 

高取城と違って、良い天気。てか、暑すぎ~。

 

2022年 6月 15日 裏参道から登城開始

千早城跡は今は千早神社の領域なので登城路ではなく参道。

途中に湧き水が、コップも置いてあるので飲めると思うが・・・

裏参道の入り口に到着

途中で金剛山登山の人に追い抜かれ、・・・ もう気にしない。

大軍に攻められても落城しなかった事にちなんで「落ちない」祈祷米でしょうか?

登ります。

あっと言う間にこの高さまで、急な斜面です。側面からの攻城は難しかったろうと。  この程度の高さでも は~は~ぜ~ぜ~・・・途中の小休止は武士の情け、聞かないで。

荷揚げ用のモノレールがあった。

これで登れば楽ちんなんだろうな~と頭をよぎる。

三の丸跡と四の丸跡の中間あたりの表参道に合流した。

パチリは四の丸方向

結構このへんでもうバテバテ

三の丸跡へ、まだ登るのか、

石段を登り切ったら、楠木正成 千早城の戦いで有名な「藁武者」がお迎え。

 

城の守りが手堅くて攻め倦んだ鎌倉幕府軍が兵糧攻めに戦術転換、そしたら数十日後に城の麓に楠軍の武者が、てっきり腹をすかせた武者が最後のあがきと城を出てきたと勘違いした幕府軍 かかれーと攻め込んだら「藁武者」、しまったと思っても遅かった。幕府軍に上から石や丸太を投げつけ楠木軍は大勝利。楠木正成の知恵の勝利。

その他にも、急峻な斜面を梯子を掛けて登ろうとした幕府軍を梯子めがけて油を掛けて火を放って追い返した。とか 大河ドラマには尺が足らないかもしれないが、正月の特番ぐらいには十分成りえる「千早城の戦い」。あ~どこか制作してくれないかな~

三の丸跡 社務所が建っている

史蹟 千早城址 碑

 

千早城の戦い

1333年1月 攻める幕府軍 その数 100万、守る楠木軍 1000 100万と言う数は割り引く必要があると思うがそれでも圧倒的な兵力差

なのに、天然の要害千早城に籠り戦う事100日

ついに幕府軍に勝利

鎌倉幕府の幕引きのきっかけとなった戦い。

 

戦の始まりは、後醍醐天皇による討幕の争い 元弘の乱、初戦では後醍醐天皇が幕府に捉えられ壱岐に流されるなど幕府側が優勢であったが、楠木正成千早城での戦いが諸国武将に伝わり各地で挙兵の動きが広まり鎌倉幕府の形勢が逆転した。

住友吉左衛門 旧住友財閥の当主。 当主は代々吉左衛門を名乗るのがしきたり、したがって何代目の吉左衛門かは???

 

 

これを登れば二ノ丸跡、神社が建つ

 

モノレールの終端

 

神社の右わきをさらに進むと休憩所が、
お昼を食べしばし休憩。

登ってくるときの地図によれば神社の裏手が本丸なのだが、神社の神域として立ち入り禁止。なんの説明もない。もちろん道など無いからここで終わり。

 

今度は、表参道で下城する。

先ずは、神社へ戻る

四ノ丸跡へ

茶店があったが、土日ぐらいは営業するのだろうか?

振り返って四の丸跡方向を。

ここから参道入り口まで約560段の石段 金比羅宮の785段(786段ー1段)や、山寺立石寺の参道を思えばどうってことのない段数なのだが、過ぎ去った年月は肉体的にいかんともしがたく。

ひそかにいつか俺もとお考えの貴方。声を大きくして言いたい。全国行脚をするなら、「今でしょ!、明日という選択肢は無い」。 ふ~ 決まったな。

表参道入り口が見えた。

表参道入口 ね。「藁武者」が立ってるでしょ。単なる飾りじゃないんだよ。

千早城の歴史は、「上の案内板を読んでね」という事で、手抜き。

いや~暑いのなんのって。

表参道入り口前には交番。これじゃ路駐無理。

ここからまつまさPまでもうひと踏ん張り。

ここを右に入ってもう少し。

裏参道から登城して表参道を下って出発点に戻ってきた。

一周 約1時間20分

 

じじいには縁が無いおしゃれな店が

熊までおしゃれ。 ちょっと嫉妬。 (じじいには、サンキあり。)

Pで帰り支度をしているとじじいの旅車は目立つので地元の方と立ち話に、こんな車に寝泊まりして全国の城巡りをしているんです。と話したらその方はすでに城巡り達成者。経験者ならではの有益なお話を聞かせてもらいました。感謝 m(__)m。

お名前も伺わず失礼しました。え~と、千早城なので「竜田川さん」とでも。

え?なぜ竜田川さんなのか?

ちはやふる かみよもきかず たつたがわ ・・・・・

・・・お後がよろしいようで。

 

 

今日はこの辺で、

次回は、今日の後半、だんじり祭りで有名な岸和田城経由、道の駅 とっとパーク小島まで。

 

 

最後までお付き合いありがとうございました。

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では、また次回にお会いしましょう。

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