梅雨空に祟られて「身も心もぼろぼろ」になることを承知で6月6日に発進した東海・近畿の車旅。
旅の轍
前回で告知したように田倉埼灯台の次に立ち寄った「和歌山城」はUP済なのでパス。怒涛の勢いで灯台尽くしの ぼろぼろの近畿編 スタート
ぱちぱちぱち (ひとり拍手。侘し)
繰り返しになるが、2022年6月16日 巡り旅11日目の朝を道の駅 とっとパーク小島で迎えた。
今回の車旅 記念すべき灯台巡りの1基め「田倉埼灯台」に向かう。
越後を発進する時は、田倉埼灯台の沖に浮かぶ友ヶ島に建つ友ヶ島灯台にも寄る計画であったが、心が折れてパス。 折れた原因はなんだ?ってか?
武士の情け 海の男の友情で聞かないでくれ。どうせたいしたことじゃない。
友ヶ島よ、又の機会に・・・・・又の日は来るのだろうか?
防波堤灯台の場合は、漁港に向かって右舷側が灯塔色が赤の通称赤灯台。
昼間だったら灯塔の色も分かるが夜は見えないだろ?って?
ご心配なく発光色も赤なんです。 ま、この程度の事は釣り人なら全員知ってるでしょ。
それにしても防波堤の先端までかなりの距離なのに、6時過ぎにはもう大勢の釣り人。
恐るべし釣り人の遊びに掛けるパワー。
”上司曰く、この半分でいいから仕事に打ち込んでくれたらな~。”
”部下曰く、そんなにたくさん仕事で使ったら火噴いてぶっ倒れちゃうよ。”
本日1基め 田倉埼灯台のアタック場所に到着。
トンビでしょうか? 羽を休めてた。
じゃ、うみまるくん案内よろしく。
じじいは、朝飯食いながらここで待ってるから。
ヨーソロー、護岸堤防に沿って先端の方に行きます。
ここが灯台への登り口
傍らに歌碑があった。 「紀の国の・・・」
コンクリート階段を登ること120段程の所で灯台が見えた。総階段数 158段
158段って、数えたのかよ! ヒマ!
田倉埼灯台に到達
灯台の周りをまわってみたが、このアングル以外は、木立が邪魔して断念。
よく読めない。 橙光会さん、新しい説明板にして。お願い。
じじいと同じくらいの歳だ。
最近はどこの灯台も光源はLED
塔の中間に窓が、中にはサーチライトのようなものが。
照射灯と言って灯台前に船の航行に危険な浅瀬や岩礁がある場合にその部分を照らして「ここは危ないから近寄るな」と知らしめる設備。
田倉埼北方照射灯という立派な名前が灯台名とは別に付いている。
危険海域の目印。 向こうに見える島が友ヶ島、灯台は向こう側なので倍率の高いカメラでも捉えることは無理。
往復時間 30分弱
次は、本日2基め 雑賀埼灯台に向かう。
前方の小高い丘の上に雑賀埼灯台が見えてきた。
雑賀埼灯台到達
この灯台は、灯塔の周りに展望台が作られていて観光地化している。おかげでPは灯台のすぐ横。 こんなのばっかりだと灯台巡りもよゆうのよっちゃん、楽ちん太郎なんだけどね。(楽太郎師匠 早く元気になって笑点に戻ってきてください。)
灯台の周りをまわりながらパチリ
ここにはこんな楽しみ方も。
展望台に上がって見下ろしてみた。 線は引いてなかった。
さっき寄ってきた田倉崎などが見えるというが、
霞んではっきりとは見えんかった。
奇麗な花のぱちりを最後に雑賀埼灯台に別れを告げ
灯台は大概 海岸線の飛び出たあたりにあるがその飛び出たところを、岬、崎、鼻と称している。使い分けの基準は・・・知らん。 地名はそういうもんだと思わんば付き合いきれん。
途中で、ツルハがあったので給水し
他の店でもよくある専用のボトルと会員になれば無料で水を汲めるという例のサービス
旅人にとって、いかにタイミング良く水が汲めるかも重要なポイント。
もうすぐかな?
手前の漁港
路駐した場所
灯台の建つ方向を見て、心が萎える 高鳴る気持ちを押さえつつ出発。
しばらくは護岸堤防に沿って進む。
しばらく行くと案内看板、左 宮崎ノ鼻灯台と教えてくれる。右側の小路を進む
こそこそしていると不審者と間違われそうな細い小路を進み
猫がいた。猫の目は明らかに不審者を見る目だ。
お墓の手前を右だったかな?たぶん。
いよいよ山道、ところどころに道標がある。
ようやく岬の鞍部に出た。
灯台に繋がる電柱が見える。その電柱に沿って道がある。
有田(アリダ)市 分かりやすい道標の設置 ありだがとうございます。
お礼に今冬もいっぱい食べるぞ、有田みかん。
(なぜか今回は、あふれんばかりにすらすらと文章が出てくる。)
この辺の道は、道と言うより斜面。 気を抜くとずずずーと下まで滑り落ちそう。
ようやくアリジゴク道を通過して
先人の導きにも登場するアングルの廃墟に到着 あともう少し。
※先人の導き 先輩灯台ハンターの方達が、web上に残されたアタックルート
このお陰でじじいもアタックできている。灯台のすべてがこの紀伊宮崎ノ鼻灯台のように道標があるわけではない。
敷地に降りる が 狭い!
敷地が狭く全体が収まらん。
お決まりの橙光会の説明板も無い。
海保の人と灯台ハンター以外誰も来んわなー。こんなとこまで。
釣り人は、先ほどの鞍部で釣るだろうし。
周ってみるが、木立が邪魔をする。
この灯台も光源はLED
パチリも撮り終えたし、帰ろ~。
帰る途中で路駐した旅車が見えた。
岬の鞍部になっている所に戻って来た。
吹き抜ける風の強いのなんのって。アデランスの人は要注意。
誰とも合わないだろうと山道を歩いていたらイケメンの若い釣り人とすれ違う。
「灯台まで行かれたんですか?」
はい
「すごいですね」(老人に対するいたわりの気持ちあふれる言葉)
いや~
いたわれるうちが花、
やめとけ!年寄りには無理!
と言われないように、精進、精進
路駐した所に戻って辛かった道中を振り返る。
赤丸部分に路駐。鞍部と表現していた場所は、船越のあたり。 出典 国土地理院
岬の先端のお日様マーク(☼)みたいなのが灯台。
さらば、紀伊宮崎ノ鼻灯台 もう二度と来ないだろう。と言うより再訪する気力が湧かない。と思う
往復 1時間20分
この岬のどこかに建つ
灯台が見えた。
この灯台も道路のすぐ横 よゆうのよっちゃん 楽ちん太郎
でも道路に傾斜があり路駐は気を付けてね。
灯台前を過ぎて少し走ると今は使われていない(と思う)建物があり、その脇に広めのPスペースがある。
そこからの灯台パチリもグー。
灯台入り口に掲げられた初点プレート
ブログを纏めていて初めて気が付いた。この文字を書いたのは
美浜町立松洋中学校 3年 岡本 昂大
羨ましいぞ 昂大 君の名は紀伊日ノ御埼灯台と共に永遠に残る。
灯台前に置かれた初点プレート
この灯台は、3度建られている。
初代は、明治28年に建てられて 昭和20年の戦災で消失
和歌山城の戦災焼失と同じ頃か。
2代目は、昭和26年に再建
3代目は、敷地崩落の恐れが出てきたため、平成29年に今の位置に建替え
ゆえに「灯台ハンター」の諸先輩方のweb情報には、2代目のパチリも出てくる。
初代の形は分からないが、2代目の灯台の形は今の灯台の形と違っていてそれはそれで絵になる灯台だったようだ。
海岸を見下ろし
行き交う船を眺め
ここは橙光会が管理する「参観灯台」では無いが、地元の法人がたまに開放しているみたいだ。19日まで待っていられない。後ろ髪を引かれる思いで立ち去る。
もっと天気の良い日に再訪したい。できれば灯台開放日に。
ちょっと移動してパチリ
帰る道すがら道路わきにこんな物が、近くのキャンプ場の入り口の目印みたい。
さて、本日の灯台巡りは以上なので、スーパー松源で食料を調達し
夜間休憩地の道の駅 みなべうめ振興館に向かう。
みなべうめと聞いて「南高梅」だと察した人、あんたは通だね。
「南高梅」誕生秘話
和歌山県が誇る梅「南高梅」は、ここ南部高校の園芸部の皆さんが代々優れた梅の木を掛け合わせて生み出した最高傑作の梅なのだ。だから「 南 高 梅」
それがこれだ。収穫前の南高梅
上記「南高梅」誕生秘話 ぷろじぇくとえっくす的には有りだと思うけど、
和歌山県総合情報誌「和ーnagomi」VoL4によると、
高田貞楠(梅栽培農家)が栽培する梅の中に大粒でそれはそれは香りの良い梅の木を見つけた。明治35年のことだった。
それから半世紀後の昭和25年。当時地元には100種類ほどの梅の品種があったのだがこれを優秀品種に集中しようと究極の梅探しを始めた。その結果高田さんの「高田梅」が選ばれた。その調査に尽力したのが県立南部高校の先生と生徒だったこともあり、この最優秀品種は高校名と高田梅にちなんで「南高梅(なんこううめ)」と命名された。
(補足:南部高校の南と高田梅の高)
ここでは、全国梅産地サミットも開かれている。ちょっと前だけど。
ちなみに今年は奈良県での開催予定だったがコロナで中止。
梅の木
あの 変人 小泉純一郎元総理も立ち寄っている道の駅。
ブログを書いていたら口の中がすっぱくなってきたので、今回はこの辺で
今日の走行距離 154km 累積 1,353km
次回も灯台尽くし。番所鼻灯台、市江埼灯台、潮岬灯台、苗我島灯台、串本トウジロ鼻灯台、樫野埼灯台 ・・・の予定だが、前、後編に分けるかも?
最後までお付き合いありがとうございました。
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では、また次回にお会いしましょう。