九州彷徨い道中記 5日目
道の駅 むなかたで目覚めた
昨夜から暴風警報が発令されて、揺れて揺れてもう大変
片隅に置かれた屋台?も風に煽られて、オー モォレツ! いや~ん
分かるかな~
今日の1ヵ所目は、津屋崎鼻灯台
東郷神社の第1Pの奥の遊歩道を進む
津屋崎鼻灯台に到達
照射灯が併設されているので「親子灯台」とも呼ばれているようだ。
東郷神社は、日露戦争中の日本海海戦(明治38年5月27日、28日)でロシアのバルチック艦隊を撃破した連合艦隊司令長官東郷平八郎元帥を祀っている。この海戦の勝利でロシアの敗戦が決定づけられた。
日本海海戦は、司馬遼太郎の「坂の上の雲」で描かれているような「丁字戦法」で劇的勝利した訳ではなく、何としてもバルチック艦隊の北上を止めるべく一か八かの捨て身の「東郷ターン」で辛くも勝利した。と言うのが現存する戦記資料などで裏付けされている。どちらが勝ってもおかしくない状況で勝利の女神が少しだけ日本に微笑んだのかもしれない。
「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」大本営宛の打電の一部、レーダーも無かった時代に昨日までは曇天波浪で見通しも悪く「敵艦」が見つけにくかった事の裏返し。ようやく見つけたが自艦の位置に誤差があり結果敵艦の位置にも誤差があり連合艦隊本体が敵艦と真正面で対峙する事になり敵艦を取り逃がさないための一か八かの「東郷ターン」(バルチック艦隊の進行方向に舵を切る)だった。
その時の旗艦だった戦艦三笠は横須賀に保存されているが、この神社には戦艦三笠の主砲の先端部が保存展示されている。
という事は、横須賀の三笠の砲身はレプリカだな。
せっかくなので、戦艦三笠(模型)のパチリをUP 「Z旗」を揚げてるね。
(佐世保のセイルタワーでのパチリ)
次に向かったのは、福岡城
城跡に行く途中で見かけた建物 福岡市赤煉瓦文化館(旧 日本生命 九州支店)
関ヶ原の戦いで徳川家康に組した功で、豊前の国中津川藩から筑前の国 52万石余に移封、福岡藩の初代藩主となる。
満車でしばらく待たされる。桜を見るにはまだ早すぎるのになぜ満車? と思ったら
近くの競技場で大会が行われていた。
桜は、ようやく開花した状態 とても愛でるにはまだ早過ぎ
福岡城むかし探訪館 名城スタンプはここにある。
ドラマなどでお目にかかる兜などが展示してある。
工事中の足場組では、あ~りません。
福岡城には天守台は残っているが天守が建っていたかどうか?意見が分かれているとか? 最近天守が書かれた絵図が見つかったとかの話も聞くが・・・ どのような天守だったかの詳細は不明、したがって他の天守や市民の意見を参考に作ったのが目の前の骨組み、シースルー(まぼろし)の天守でした。
桜祭りを挟んだ期間限定の天守だそうです
夜は骨組みに取り付けられたLEDが灯って、
でも、夜まで待ってられません。
福岡城の現存する建物 多門櫓
下之橋御門
次は、大野城に向かう
守衛さんに「名城スタンプを貰いに来ました、〇〇課はどう行ったらいいんでしょうか?」
守衛さん・・・・あんた今日は祝日だよ、誰も居らんよ。と
が~ん! 365日 日曜日の生活をしていると「今日が何曜日?」なんて事気にもせず。
出直します。
次に向かったのは、基肄城の名城スタンプを貰いに基山町民会館へ
ここは年中無休なので、開いてて当然
(昔、コンビニのCMであった、当時7:00~23:00の営業時間だったセブンイレブンに対抗し24時間営業のコンビニが流したCM。 「開いてて当然」 分かるかな~)
名城スタンプは事務室前にありました。
次に向かったのは、太刀洗平和記念館
B29を迎撃するために開発された「震電」が展示されていた。
震電J7W1 実物大模型
零戦と重なっているんで分かりづらいが、左側が前、機体のお尻にプロペラがある
試験飛行ではそこそこの性能を示したが、時遅く実戦に出る事は無かった。
これも、まぼろし~ の戦闘機
次に向かったのは、久留米城
石垣以外の遺構は無く、城跡は篠山神社の境内になっていた
旅の無事を祈願して、パンパン
名城スタンプは、社務所に置いてあった。
以上で今日の訪問予定は終了
この後、夜間休息地 道の駅 くるめに向かった
今日は雲はあるもののまずまずの晴だった。
九州での空模様の記録
晴の日 1日
曇り、雨の日 1日
次に向かうのは、あなたの街かも?
あなたと一期一会できたら\(^o^)/。
最後までお付き合いありがとうございました。
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では、また次回にお会いしましょう。