快走じじいの回想録

北の大地、南の島 旅の思い出をゆる~く。・・・時々今

2023年秋の旅 佐渡の灯台巡り その7

おっはよ~ございま~す。

さまよい旅のじじいで~す。

この灯台訪問記は、2023年10月11日~10月17日にかけて佐渡一周した時の話です。

 

いよいよ佐渡灯台巡りも最後です。

今日のゲストは、

・弾埼灯台

・宮ノ埼灯台

・白瀬港沖防波堤南灯台(おまけ)

・両津漁港沖防波堤南灯台(おまけ)

です。

 

 

■弾埼灯台

佐渡北端 弾埼灯台

 

灯台の入り口

灯器

初点銘版

橙光会の周知板

 

に建つ弾灯台

 


1957年公開の映画「喜びも悲しみも幾歳月」のロケ地となった灯台なので、

近くには、ロケを記念した「喜びも悲しみも幾歳月の像」が立っています。でもこの場所は国土交通省の敷地では無いんです。ですから灯台からは途中にフェンスがあって像まで直接来れないんです。草も生い茂ってるし。

田中績(いさお)さんを演じた佐田啓二、妻きよさんを演じた高峰秀子

映画の中では、それぞれ有沢四郎、きよ子という役名で描かれています。

でも、実際の田中さん夫妻は、ここには赴任していませんから。残念!

じじいがネットで調べたところでは、(間違ってたら<m(__)m>)

田中績さんが24歳の時自ら望んで、岩手県の「魹ヶ埼灯台」に赴任してから、「宗谷岬灯台」→樺太海馬島灯台(現、サハリンのモネロン島)→長崎 五島列島女島灯台都井岬灯台→塩屋埼灯台→魹ヶ埼灯台 と各地を赴任し最後は千葉県の勝浦灯台で定年を迎えて37年間の灯台守の生活にピリオドを打ったとの事です。最初に赴任を希望した魹ヶ埼灯台は、今でも山道(遊歩道)を1時間ほど歩いて到達する場所なので、今の感覚で言えば生活できない場所です。”ぽつんと一軒家”でも家の前までは車で行けますもんね。ちょっとコンビニへなんてありえない場所です。でも本州最東端の場所なので”灯台好き”でなくとも訪問された方は多いのではないでしょうか?  女島灯台に至っては無人島です。それでも田中さんが常駐していた時は1週間に1回食料などの運搬で船が通ってたらしいですが、飲み水は天水に頼るしかなく大変苦労されたようです。その後飲み水用の貯水タンクとか発電機とかも整備されましたが、平成18年12月5日をもって完全無人化されました。日本最後の有人灯台でした。 グーグルマップで見るとヘリポートがあるので万一の対応はヘリで飛んでくるようですね。 そもそも女島は一般人の上陸自体が禁止です。 釣り人の渡船があるので岩場の上陸程度はOKの様ですが。

 

女島灯台の「一般公開」を企画してくれませんかね? うみまる君。

女島までの往復の船賃は払うからさ~。 本音は「巡視船の体験乗船」とコラボしてくれると\(^o^)/

でも、環境庁が首を縦に振らないよね。

青ピンが女島灯台の場所(ヤフー地図から拝借)

 

樺太海馬島灯台の場所(現、ロシア領 サハリンのモネロン島)(ヤフー地図から拝借)

1945年8月9日「日ソ中立条約」を一方的に破って当時日本領だった南樺太ソ連軍が侵攻してきた。常駐していた田中さん一家は、捕らえられ3年後にようやく帰国。

 

サハリンの領有権の変遷に関しては、内閣府の「北方領土問題とは」↓ を参照ください。

北方領土問題とは 北方対策本部 - 内閣府

 

 

話を戻して、では、どうすれば像にたどり着けるのか?

佐渡一周線の傍らに今は営業していない(と思う)「はじき野 フィールドパーク」があります。入り口にはチェーンが張ってありますが、看板には”入園無料”とあるので徒歩でお邪魔します。(^_^;)  ← 何という理屈だ。

左側を奥へ。舗装路が続いてます。

バンガローだった建物の前を奥へ、奥へと進むと灯台が見えてくる。

舗装路に沿って右へ曲がりさらに進むと、左側に像が見える場所があります。そこから像の方へ進みます。地面は舗装されていますが草だらけです。

 

じじいが訪問した時は、像の周りは草だらけで悲しくなりました。😢

今でも二人で沖ゆく船を見守っているのですから。周りの草 何とかならんものかな~

佐渡汽船さん、往復のフェリー代だけ出してくだされば、喜んで草刈にいくよ~。

灯台周辺の地図です。 緑の道が、それぞれの場所に到達する道です。(地図は、国土地理院地図から拝借)

 

<おまけの話>

じじいは、田中さんの娘さんに逢った事があるんです。その時の話は ↓

 

名残惜しいんですが出発します。

今度訪問する機会があれば、”草刈り鎌”を持参します。

 

 

 

■宮ノ埼灯台

訪問時は、ちょっと天候が・・・😢でした。

宮ノ埼灯台の周辺図(緑の道がじじいがたどった道) (地図は国土地理院地図から拝借)

 

佐渡一周線のここに路駐。

真ん中の電柱と建物の間にコンクリートの階段がある。路駐した場所から南へ100m位か?

ここを上がる。なにやら上に建物らしきものが見える。

門兵のニャン太二等兵がいたが何事も無く通してくれた。

学校の様です。もう使われていない感じ。 道はここで右へ曲がる。

曲がった先の道。

ここを左へ、見渡せば灯台が見えるので”畦道”を伝って灯台へ

畦道といっても私有地ですから、通らせていただくという気持ちで畦道以外の場所に踏み入らないようにしましょう。

到達

灯器

初点銘版

橙光会の周知板はあ~りま千年灸でした。

「タッチ」

 

階段の傍らに、廃校となった小学校の記念碑がありました。

明治10年2月創立  平成25年3月閉校 136年間の幕を閉じる。

 

 

■白瀬港沖防波堤南灯台(おまけ)

うっとおしいカラスめ、と思ったらトンビの様です。 トンビなら、ま!いっか。

 

■両津漁港沖防波堤南灯台(おまけ)

振り返ったら虹が掛かってました。

 

帰りのフェリー「ときわ丸」です。

(編集の都合で、パチリの時間軸が前後しています。)

 

佐渡で巡った沿岸灯台:13基(一里島灯標含む)

       照射灯:2基(いづれも、灯台に併設)

     防波堤灯台:6基(1基はデザイン灯台

おさらいとして、各灯台の概略mapをアップして

佐渡灯台巡りを終わります。

 

 

次に向かうのは、あなたの街かも?

あなたと一期一会できたら\(^o^)/。

 

最後までお付き合いありがとうございました。

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では、また次回にお会いしましょう。

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