おっはよ~ございま~す。
さまよい旅のじじいで~す。
「筑波海軍航空隊記念館+地下指揮所」の見学を終えて、一路福島県の塩屋崎へ
古い映画ですが、灯台守の生活を描く木下啓介監督「喜びも悲しみも幾年月」の原作となった灯台長夫人の手記「海を守る夫と共に20年」を著した田中きよさんの娘さんが塩屋埼灯台の参観受付をしている。そうです。
すごくないですか?
灯台好きとしては、スルー出来ません。
早速 塩屋埼灯台を目指します。
ワープ!
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塩屋埼灯台が見える場所まで来ました。
海水面の”黒粒”は、サーファーです。
海水浴を楽しむファミリー
もう夏です。
灯台の入り口(登り口)に到着。
昭和の歌姫 美空ひばりさんの「みだれ髪」の碑があります。
でも、ひばりさんには申し訳ないですが、塩屋埼灯台の歌と言えば、
「喜びも悲しみも幾年月」です。(個人の思い)
おいら~み~さきの~とうだいもりは~♬
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歌いながら灯台への道を登ります。
到達です。
豊間漁港からのパチリも
2011年の大震災の時には、建っている場所の斜面が崩れて倒壊の危険が生じたり 灯台自体にも大きな被害が生じました。
その日参観者の受付をしていた小野さんの体験談です。
では、
断れることを承知で、田中さんの娘さんにパチリ1枚いいですか?と
当たって砕けろ!
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すると、
なんと
なんと
なんと
こんな感じでカメラに収まってくださいました。
じじい感激ー
(田中さんの娘さんなのでそれなりのお年ですが<失礼>、顔を伏せるのが申し訳ないようなとってもきれいな方でした。)
一期一会です。
じじいが初めて田中きよさんの事を知ったのは、2008年に本州最東端の魹ヶ崎に到達した時です。
田中きよさんが揮毫された「本州最東端の碑」を見た時でした。
灯台守の田中さん夫妻は、ここ魹ヶ埼灯台を皮切りに全国の灯台を渡り歩かれたそうです。現在の灯台は、全自動の無人灯台となり田中さんのような灯台守は居なくなりました。
お~~~い 海まる君!(何かの用事でたまたま居合わせた海保の人)
田中さん夫妻のような熱き心を持った灯台守になってくれよな~
喜びも悲しみも幾年月
(作詞:木下忠司)
俺(オイラ) 岬の 灯台守は
妻と二人で 沖行く船の
無事を祈って 灯をかざす
灯をかざす♬
星を数えて 波の音きいて
共に過ごした 幾年月の
よろこび 悲しみ 目に浮かぶ
目に浮かぶ♬
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この後、今日の汗を流すためにやってきました
さはこの湯
ちょっと熱めの気持ちいい温泉でした。
夜間休息でお世話になった 道の駅 ひらた
気持ちいい風が吹き渡り熟睡できました。
朝方の気温です。
平田村は、日本一辛いハバネロで村おこしでしょうか?
挑戦してみる? 地獄級
ひとなめでギブアップの過去歴が・・・掲示されてました。
これが危険なハバネロの苗です。
こっそり栽培しても、
逮捕されませんから安心してください。
この後は、うつくしまふくしまをゆっくり走って、越後の国に帰ったとさ。
「灼熱の関東さまよい旅」これにて終了。(後日 追記)
次に向かうのは、あなたの街かも?
あなたと一期一会できたら\(^o^)/。
最後までお付き合いありがとうございました。
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では、また次回にお会いしましょう。