快走じじいの回想録

北の大地、南の島 旅の思い出をゆる~く。・・・時々今

灼熱の関東さまよい旅 6日目 筑波海軍航空隊記念館

おっはよ~ございま~す。

さまよい旅のじじいで~す。

 

今日(7月16日)のさまよい旅は、前編と後編に分けます。

先ずは、前編

 

柏原池公園で朝を迎えました。

到着時は、35℃あった車内も朝は27℃くらいまで下がりました。

 

昨日の夜8時前には、たくさんの車も

朝5時前には、ほんの数台でした。

お天気ニュースです。ブログタイトルどうりの「灼熱」になりそうです。

 

ブログを纏めようと思っていた場所(7月16日~の夜間休息地)では、うまくネットに繋がらず、場所を移動してのブログ纏めだったためアップが遅くなりました。

 

筑波海軍航空隊記念館に到着です。

ナビは正しく誘導していたのですが、敷地の入り口の門が「こころの医療センター」と掲示されていたので、勝手にここじゃないだろうと一旦通り過ぎました。

皆さんは、「こころの医療センター」の門を入ってください。

ナビの誤りではありませんから。

僕が基地跡の案内をします。宜しくお願いします。

 

広大な基地跡の半分ほどは、茨城県立「こころの医療センター」が占めています。

基地だった頃の名残があちこちにあるのですが、道が草に埋もれていたりで・・・

 

「こころの医療センター」の立派な門を入ると右側に駐車場。そこから300m弱進むと左側に筑波海軍航空隊記念館の建物があります。

記念館の前の道路を隔てた所に

訓練時に指示を出した「号令台」があります。

 

隣の司令部だった建物も含めての記念館の入館料は、500円  場所がちょっと離れているが太平洋戦争の末期に作られた「地下戦闘指揮所」の見学も併せると800円になります。「地下指揮所」の見学は、開始時刻が決められていて事前予約が必要です。ですが当日に見学希望人数に余裕があれば予約がなくても受け付けてもらえます。

 

記念館に入ってみます。

入口です。

零戦の胴体後部や

筑波海軍航空隊の歴史などが展示してあります。

 

記念館の隣の建物が、

司令部だった建物です。

様々なロケで使われているようです。

階段の手すり、高名な海軍軍人も触ったかもしれません。

司令官室です。床材は、映画のロケの為に張り替えているそうです。

旧日本海軍の象徴「戦艦大和」の建造時の写真です。

当時世界最大の戦艦も

戦闘技術の革新の波に乗り遅れていたようです。

常に作戦時の後方に位置していたのは勝手な推測ですが、象徴である「大和」を守るためと最大速力に於いて劣っていたので他の艦との統一行動がしにくかったからですかね。敵はでかくて足の遅い大和に攻撃を集中するでしょうから。

余談ですが、大和の建造技術に関しては、「大和ミュージアム」が詳しいです。

戦後復興の立役者 造船技術は当然ですが、短納期で作り上げた生産技術が後のトヨタの看板方式に受け継がれ、測距儀の光学技術が後のニコンに受け継がれているそうです。

つくづく、厚鉄板の溶接技術もあったなら・・・

 

スチーム暖房だったようですね。

海軍は進んでたんですね。

 

地下指揮所に行ってみましょう。

左側にちょこっと見えているのが地下通路の入り口です。

作戦指揮所だった部屋です。

 

見学した日は猛暑日でとても暑かったのですが、中はひんやりと涼しかったです。

 

地下通路の反対側には、映画で使われた零戦が展示してあります。

 

まだまだ、紹介しきれていないんですがこの辺で終わります。

機会があれば、次はご自分の目で。

 

 

次に向かうのは、あなたの街かも?

あなたと一期一会できたら\(^o^)/。

 

最後までお付き合いありがとうございました。

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では、また次回にお会いしましょう。

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