おっはよ~ございま~す。
さまよい旅のじじいで~す。
昨日は、本当に風が強かった。なので雲が流れるのも早く雲の切れ間にパチリしようとじっと我慢の1日でした。同じ風景を何回取り直した事か。
お世話になった道の駅 センザキッチンの朝です。
青海島の観光船があるんですが、こんな天気の日はどうなんだろうと見てきました。
運航してました。船首に出入り口があって進行方向の風景も見やすい構造の船でした。
同じ構造の船が10漕も係留してました。ハイシーズンならフル回転するのでしょうね。
青海島には、潮場ノ鼻灯台が建っているんですが、先人の情報によれば灯台の目と鼻の先位の場所が絶景ポイントらしいのです。絶景ポイントと言う事は遮るものが無い=風がまともに当たる。・・・という事で、今回はパスする事にしました。
今日のゲスト
松島二子照射灯、玉江港灯台、萩城です。
■松島二子照射灯
ここは、平場に建っているので風で飛ばされる危険性は少ないです。
この時は、雨もぽつりと落ちてきて最悪の天候でした。
照射灯前の岩場です。岩にぶつかった波が高く打ち上がっていました。
■玉江港灯台
この灯台には、玉江港東方照射灯も併設されています。
雲が切れるのを待ってパチリしました。
海岸近くの岩場に建っていますが陸続きなので到達できます。
灯塔の赤色がまだらですが、だいぶ傷んでいました。きれいに補修されたら再訪したい灯台です。
この灯台から見えた波です。こんなのが幾度となく押し寄せてきます。
きっと今日は、漁も休みだったかもしれません。
■萩城
今は、石垣しか残っていません。左奥のちょっと高くなった所が天守台です。
毛利輝元のお墓がある天樹院です。寺院は無くなってお墓だけが残っています。
奥方のお墓と並んでいましが、なんかいいな~と思いました。
なかなか無いですよ、奥方と並んでいるお墓って。
萩と言えば、この男 高杉晋作
藩の頭の固い上役連中に嫌気がさして脱藩したのに、藩の危機の際に呼び戻され見事救ったりと、まさしく「おもしろき こともなき世に をもしろく」で生きた漢です。
(句の解釈は、諸説あり。じじいは、高杉晋作の生きざまと照らし合わせて解釈)
この男がいなければ、長州藩が明治維新の表舞台に登場しなかったかも。
享年29歳 病でこの世を去りました。
時の幕府からは、人相書き付きで「手配書」が出ているが、その人相書きが、笑っちゃうほど似てない。
生家です。
萩焼のお店
萩は焼物でも有名、あちこちにお店がありました。窯元もあちこちに。
夏ミカンのような大きさの実がたくさん実っていました。そんな木があちこちに植わっていました。
通りがかったお母さんに尋ねたところ「だいだい」だそうです。お正月の縁起物ですね。昔は、もっとたくさん植わっていたそうです。話好きな気さくなお母さんでした。
早くコロナが収束し、もっと気楽に話しかけられれば旅はもっと楽しくなるのに、これから冬に向かって第8波が予想されると、TVでいつもの専門家の人が話していました。
もう、うんざりです。
今、萩市の道の駅 萩シーマートにいます。道の駅舎の裏手が漁港になっていて、もし漁に出ていれば水揚げが始まりそうなので、今日は、この辺で。
捨てられた雑魚を狙ってカモメが低空飛行でさらっていく・・・
最後までお付き合いありがとうございました。
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では、また次回にお会いしましょう。