梅雨空に祟られて「身も心もぼろぼろ」になることを承知で6月6日に発進した東海・近畿の車旅。
旅の轍
例によって、またまた発進が予定より大幅に遅れてお昼過ぎに発進。
何回同じことを繰り返したか。進歩の無いじじいです。とほほ。
15時過ぎにようやく信濃の国との国境に到着。橋を渡った先の道の駅 信越さかえで小休止。
越後の国の宝と思っていた火炎土器がなぜここに?
なになに? 火炎土器は長らく越後の信濃川流域でしか発見されなかったが、この近くでも発見されたとの事。じゃ。
夜間休息される方はご注意ください。 というか場所を変えた方が良くね?
16:30 ベイシア飯山で今日の食材を買い出し。
19:00 松本市アルプス公園東入口Pに到着 夜間休息をさせてもらった。ありがたや。
長野市から松本市に抜ける頃に雨が激しくなってきたので、意を決して高速を利用した。一般道の峠道はカーブが半端ないからの~。
パチリは翌朝のもの、雨もあがり少し朝日が当たっている。
6月7日 愛知県豊橋市の吉田城に向かって”あばれ天竜川”に沿って走っていたら、
はでなバスの後ろについてしまった。 なになに市田柿、旨そうな干し柿じゃの~。
レギュラーガソリン 176円/L 岸田さん あんた何やっとるんじゃ、ようやくコロナの新規感染者も減少の兆しが出てきて経済回復に頑張ろう。という時にこれじゃ回復の足を引っ張るぞ。 損して得取れと言うじゃろ。石油元売りにじゃぶじゃぶ突っ込んどる税金はどこに消えた~。まさか還流しとるんじゃないだろな?
道の駅 信州新野千石平で見かけた神様「幸法」
ようやく豊橋の地名が出てきたぞ。
13時過ぎ 吉田城がある豊橋公園Pに到着、梅雨でぼろぼろどころか熱中症に気を付けねば。
吉田城 昭和29年に模擬再建された鉄(くろがね)櫓
今川氏親が牧野古白に命じて築城、その後徳川家康が今川氏から奪い酒井忠次が入城、
徳川家康が関東に移封されると羽柴秀吉の配下 池田輝政が入城し改修を行う。
傍らを流れる豊川 天然のお濠。
発掘調査中のようじゃな
途中で今回初となる給油(単価160円)と今夜の食材を買ってから
17:00 今日の汗を流そうとやって来た 銭湯「新川温泉」 新しいとは言えんが、旅の汗を流すには十分。
何と! 本日60歳以上は無料。 有り難くちゃぽ~ん。 いい湯でした。
他にもいろいろなサービスデーがある。
新川温泉の入り口は、左側赤い車の奥、Pも完備 右側の小さく立て看板が写っている所
18:00 旅の汗も流して夜間休息の場所 道の駅 デンパーク安城に到着 お世話になりました。
道の駅の隣の広大な敷地内に温室やカントリーエレベータらしきものも見える、それらの施設は柵で囲われ時間外の為近寄る事も出来ない。
じじいの夜の過ごし方、TVを見ながら眠りにつく前のひと時を過ごすが、
じじいが使っている手作りの地デジアンテナ(アマチュア無線家の間ではヘンテナアンテナと呼ばれている物) さすがに周りが”山”という場所では受信できないが今までの経験上かなりの確率で受信できる。もっとも送信アンテナの方向をチェックして出来るだけその方向が開けている場所に車を停める工夫も必要。
ここまでの走行距離 520km 累積 520km
明日は、名古屋城に向かう。
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では、また次回にお会いしましょう。