梅雨空に祟られて「身も心もぼろぼろ」になることを承知で6月6日に発進した東海・近畿の車旅。
旅の轍
3日目の朝を道の駅 デンパーク安城で迎えた。
今日もいい天気です。名古屋城に向かいます。
この辺はスイスイですが、この後通勤渋滞に。
おお車線が多いぞ。都会の道に慣れないじじいは緊張のしっぱなし。
9:00 名古屋城正門前Pに到着
案内図
名古屋城の正門入口 名城スタンプはここの案内所で貰う。
中央が、重文の「西南墨櫓」左奥が「大天守」 この西南隅櫓の鬼瓦には何と・・・
菊の御紋が、(16花弁の菊紋は、天皇家の御紋)
櫓は慶長17年に建てられ明治維新後も残っていたが明治後期から大正期の頃に自然災害で倒壊してしまった。その後大正12年にその当時管理していた宮内省が古材を用いて再建した。そのために菊紋が入れられたのだとか。
名古屋城には、西南墨櫓の他に、重文の東南墨櫓、西北隅櫓があるが、通常は非公開。
重文 本丸二之門
重文 旧二之丸 東二之門
本丸御殿 玄関
慶長20年に徳川家康の命により尾張徳川藩主の居館として建てられたが、藩主は二ノ丸に移ったため将軍の上洛時の宿の役目に変わった。家光以後は使われなくなったらしい。昭和20年の空襲で天守と共に焼失。
幸いに図面や資料が残っていたので2018年に忠実に再建された。
殿様用の厠も再建したと係員の方に教えてもらったが、なんせ広さが2畳ほどなので狭すぎて公開していないとの事でした。見たかったの~。
本丸御殿内は、フラッシュ無しならパチリOK
対面所 藩主と家臣との面会などに使用。
上洛殿 三代将軍家光公の上洛に合わせて増築された部屋
武者隠しの扉も豪華。
廊下の欄間
上御膳所 殿さまの食事は毒見がつきものだが、毒見をしている間にもどんどん冷めるので、少しでも温かい物をと温め直した場所。台所は別にある。
なんぼでもえ~から入れてちょ。
天守を見るなら「名古屋キャッスルホテル」がお勧め。
1泊いくらするか知らんけど、ライトアップされた緑色の屋根の天守がドアップで迫ってくる。一度見たら一生忘れられない絶景。
剣塀と呼ばれる大天守と小天守を繋ぐ櫓台を囲む土塀の軒先にこれでもかと並べられた槍の穂先。大天守への侵入を阻止。
名古屋城の築城は西国の外様大名が担当させられたが、天守の石垣を担当したのが加藤清正公。 上に向かうに従い傾斜が急になる積み方。熊本城を彷彿させる。
小牧山城に向かいます。
11:30 小牧山城北Pに到着 2時間以内は無料だったかな。偉いぞ小牧市
入口 この辺は土塁が築かれていて、その土塁をぶった切った形の入り口。土塁の断面が見学できる。
登り口 高低差たかだか80mほどだが、運動不足のじじいにはきつかった。
途中には木の橋も
右奥から登ってきて折り返すように左側の階段を上る。
織田信長が美濃攻めの為に清州城から移って来た城
稲葉山城(現岐阜城)を陥落し、そちらに移ると小牧山城は廃城に。
小牧・長久手の合戦とは、信長亡き後の実権を握ろうとする羽柴秀吉と信長の二男信雄が己の身の不安から徳川家康に援助を申し出て秀吉と対峙する大義名分を得た家康との実質秀吉vs家康の決戦だったが、ほとんど互角か徳川やや有利の戦いのさなか織田信雄が秀吉と勝手に和睦して終了。もしかしたら勝利したかもしれない戦で信雄の勝手な振る舞いに家康も開いた口が閉まらんかったかも。
城跡は、信長時代の石垣を発掘調査中
裏側
二段に積まれた石垣
小牧山城からの眺め
この後、犬山城に向かうが、今回はここまで。
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では、また次回にお会いしましょう。