あったてんがの
北の大地 そろーり、そろりは、前回本州に帰ったところで終了としたが、どうしてもおまけの1,2を付け足したくて、年寄りのわがままじゃ、許してくだされ~。
6月24日午前大間に上陸して、道の駅 浅虫温泉にお世話になり翌日向かった先は、八甲田山 そう映画「八甲田山」の元になった「雪中行軍 遭難現場」じゃ。
史実と原作、映画とは相違する部分もあるようじゃが、199名の遭難死者を出した山岳史上最大の遭難現場であることは間違いない。遭難事件の詳細は、ググればいっぱい出てくるのでここでは省略するが、例えば映画の中の「案内人殿に頭右!」は現実ではありえない事じゃ。でも、だからと言ってじじいは映画はだめだ。などと言うつもりは毛頭ない。史実を知っても、映画の価値に何の変りも無い。すばらしい映画じゃ。
雪中行軍と言えば「歩兵第五連隊」の事件が大きすぎて「雪中行軍=歩兵第五連隊」のイメージになっているが、じじいの秘密基地がある越後の国の新発田という街の「歩兵第十六連隊」でも第五連隊より4年も前に雪中行軍を行っている。それらの詳細は、「白壁兵舎広報資料館」に展示されとる。この「白壁兵舎」は、映画「八甲田山」のロケにも使われており、しかも入館料、駐車場も無料じゃぞー。
係りの人が、「直立不動、挙手の礼」で出迎えてくれるかもの~?
仮死状態で発見された 後藤伍長像 県道40号線沿いの「後藤伍長発見地」の看板がある場所とは違う雪中行軍遭難の地(馬立場)に建つ。
以下2枚の地図は、じじいがグーグル先生に聞いたりしながら雪中行軍に関係する場所をプロットした物じゃ。 素人のプロットなので多少の位置ずれや、勘違いはご勘弁を。
明治35年1月23日 歩兵第五連隊 雪中行軍隊は1日目の宿泊場所 田代新湯を目指したが、100年に一度と言われる大寒波の中、降りしきる雪で視界も効かずラッセルもままならず体力を消耗し田代新湯にあともう3kmという所で露営(キャンプ)を余儀なくされた。それ以降は皆さんもご存じの通りじゃ。
「天は、我々を見放したー」
青森市から県道40号線で八甲田に向かう途中にある。「幸畑陸軍墓地」
八甲田山雪中行軍遭難資料館 幸畑墓苑内に建つ
旧陸軍墓地 雪中行軍遭難兵士の墓標 正面奥には、将校、士官達の墓標。
歩兵第五連隊顕彰碑
後藤伍長発見の地
賽の河原
中の森第三露営地
銅像茶屋 茶屋に向かって右手の遊歩道を入る。
遊歩道を入ってすぐの場所にあるのが
雪中行軍遭難の地
遊歩道をしばらく歩いて、後藤伍長の像
徳島大尉: 軍歌 雪の進軍 始めー
『雪の進軍 氷を踏んで
どこが河やら 道さえ知れず
馬は斃(たお)れる 捨ててもおけず』
(雪の進軍 作詞 永井建子)
いっちゃぽ~んさげた
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