昨日(4月18日)アップした「高知価格は、健在だった」の後半です。
お陰様で、出羽島への連絡船 牟岐港発 7:00に間に合いました。
こんなパチリでアップを締めくくった訳ですが、この話は最後に。
今日のメインゲストは、
岡豊(オコウ)城、手結埼(テイサキ)灯台、羽根埼灯台、室戸岬(ムロトザキ)灯台、阿波竹ケ島灯台です。
え! 城や灯台はいいから早く重々しい装備で身を固めた人たちの話をしろ!
ですか? ま~ま~今少しのご辛抱を。
■岡豊城
岡豊城は四国の覇者 長曾我部氏の居城跡
詰跡 城主の居住跡
長曾我部元親像 ”我こそは四国の覇者なりー” と雄叫びを上げてそう。
■手結埼灯台
最寄りの道路からも頭が見えます。
ここを入ります。
海の景色もグー
夫婦岩が見下ろせる場所へは土砂崩れの為立ち入り禁止でした、残念。
■羽根埼灯台
R55から、脇道へ
ここを左に入る
この先の道路状況が分からないので、早々に広めの場所に停めて歩く。
結果的にはこんな場所もあった。車の通行に支障なし。
ここに停めれば灯台の往復時間を計算上12分短縮できた。
この小屋まで舗装あり、この先は笹竹の藪を越えるが踏み跡はある。
灯台が見えた。
灯台の周りは割りとスペースあり。
灯台から戻る時に気が付いた。ガードレールに貼られたシール
旧遍路道が横切っているのか?
当たりを見回すと、それらしい山道が・・・
車で上がって行く途中からは、こんな景色も。
車を停めた所からのパチリも含めた往復時間は35分でした。
24番札所 最御崎(ホツミサキ)寺の参道を上がって突き当りが灯台
いきなりこんなのが目に飛び込んでくる。
1等フレネルレンズ、いい~ですね~
海も良く見える。
灯台守の官舎跡と一緒に。
ここに至るには、最御崎寺の仁王門前の旧遍路道をちょっと下った所に道がある。
左側の道を入る。
下って来て振り返ってのパチリ
じじいは昔R55線から旧遍路道を辿って室戸岬灯台を訪問したことがある。
途中で歩き遍路の人に軽く抜かれてしまった。
今になれば良い思い出の遍路道です。
■阿波竹ケ島灯台
灯台が建つ竹ケ島へは橋で渡れる。
漁港の一番奥に停めた。黄色い荷車の横。
奥の階段。四国の道遊歩道を上がる。
ここを右に入る。
案内板も付いてる。
20~30m程 シダの生い茂る部分があった。ここは道の片側が崖と言っても良いようなかなり急な斜面なので踏み外さないように。他は至って普通の山道。
到達
遊歩道と灯台への道の分岐点のすぐ上に竹ケ島休憩所があったので立ち寄り。
何とここから!
灯台が見えた。しかも、
灯器もばっちり。
景色もいい。
道は、ほぼほぼ登りの一本調子。
車を停めた所からのパチリも含めた往復時間は、58分でした。
さてさて、お待ちかねのパチリのお話。
トイレ休憩の為、道沿いの駐車場に入ったら、
この人たちが何やら準備中
腰にはたくさんのカラビナをぶら下げてザイルもある。
担架もある。 この人たちは一体何者?
見ていたら(事の顛末を見届けるまで離れられない)
ひとりが中間、二人が下まで降りてそのうちの一人が担架に寝そべった。
上に残った人がRの指示でザイルを引く。Rとは、リーダーの事らしい。
上の青ジャンパーの人は、ザイルが岩角(想定)に当たらないように踏ん張って斜面とザイルの間に隙間を作ってた。
下の二人が少しずつ上がってくる。
もう少し。
要救護者救助終了。ラジャー
救助活動が終了した時一番ほっとしたのは、要救護者役を務めた人だったでしょう。
一連の救助活動が終了した後に、大学か、山岳会のグループですか?と聞いたところ、ま~そんなところです。と軽く受け流されてしまいました。謎のグループです。
山に登るだけでなく、あってはならない万が一の事態にも対応できるように備えだけはしているんだとか。
偶然とはいえ、すげーものを見させてもらいました。
せんせ~ 今日の一期一会は~?
これだけのものを見せられたら他は何もいりません。
次に向かうのは、あなたの街かも?
あなたと一期一会できたら\(^o^)/。
最後までお付き合いありがとうございました。
お帰りに 日本ブログ村のバナーのどれか一つをポチっとして次に向かうパワーをください。<m(__)m>
では、また次回にお会いしましょう。
はてなブログのランキングにも参加しています。よろしければポチっとお願します。