快走じじいの回想録

北の大地、南の島 旅の思い出をゆる~く。・・・時々今

2024年 春の旅 14日目(3月29日)

九州彷徨い道中記 14日目

 

道の駅 水辺プラザかもとで目覚めた。

水辺プラザと名乗るだけあって奇麗な小川も流れていた。

九州入りしてようやく三分咲き?五分咲き?の桜に逢えた。

 

 

最初の訪問地

鞠智城 八角形鼓楼(右)と米蔵(左)

兵舎

板倉(武器庫)

米蔵

鞠智城のシンボルとして建てられた「温故創生之碑」

温故創生館  名城スタンプはここにある。

 

鞠智城について調べてみた。(備忘録 (^^;))

7世紀頃の朝鮮半島は、百済新羅高句麗の3国が勢力争いをしていたが、そこに唐(今の中国)が新羅と手を組み百済を攻めた。当時百済と親交のあったヤマト政権は百済に2万とも言われる援軍を送ったが結果は大敗(白村江の戦い)。

唐と新羅が攻めてくることを心配したヤマト政権は特に西日本の各地に防衛施設を築いたが、鞠智城もその一つ。

今まで巡ってきた、大野城、基肄城、水城は大宰府の防衛施設として築かれた。鞠智城はそれらへの武器、食料の補給施設として整備されたと考えられている。(にわか仕込みなので間違っているかも・・・)

                    (熊本県立装飾古墳館 分館のHPから転載)

対馬の金田城は、朝鮮半島との往来時の水、食料の補給地になるので、最前線基地の位置づけか? もし攻めてきた時は、対馬壱岐→九州北岸のどこか?と狼煙で伝えたのだろう

天候不安定とは言え、対馬に渡らなかった事が今更ながら悔やまれる。

 

 

さて、古の歴史に浸ったあと次の訪問地に向かったが、

途中で 畑のど真ん中に「なんだこれ~?」

お金持ちの道楽住宅か?と思ったが、調べてみたら

「お城のお宿 狗奴国城」という閉館したお宿だと分かった。

でも、畑のど真ん中の温泉宿と言われてもな~ 

牛や豚との混浴は無いとしても、いろんな虫が・・・・

飛んで湯に入る畑の虫  行く気する?

 

次の訪問地に到着

河内灯台 到達

肥後塩屋南防波堤灯台も見えた。

やぐら型の灯台は珍しいと思っていたら他にもあった。

河内灯台の周辺には車を停める場所が無い。

意を決して灯台の上り口にある(株)まるむねさんに灯台見物の間だけお宅の駐車場に停めさせてもらえませんか?とお願いしたら、快く承諾していただいた。

拙いブログですが、改めて御礼申し上げます。

 

 

次は、

百貫港灯台

ここは、干潮時は海岸の石伝いで到達可能との先人の訪問記。

到着時は残念ながら波がちゃぷん、ちゃぷんで到達できず。

 

 

さて、次に向かったのは熊本城

定番の二ノ丸Pに停めようと思ったら満車! 三の丸Pに停めた。

歩いた、歩いた。

定番の加藤神社からの大天守、小天守 石垣が少し崩れていることに注目

本来ならここでは、

                              (2015年5月訪問時)

熊本城唯一の現存櫓 宇土櫓と加藤清正の武者返しの石垣が堪能できたんだが、2016年4月発生の熊本地震で、倒壊こそ免れたが内部の被害は大きく2023年から10年間の予定で解体修理が始まった。しばらくは素屋根で覆われた姿しか見られないが10年後には・・・ その頃じじいは・・・?

震災前

天守からの解体修理中の宇土

まだ手付かずの被災個所や

崩れた上面から雨水が浸みこまないように覆った石垣と、いつか積み上げられる日を待つ石 等々 完全復旧までにはまだまだ時間がかかりそうだ。

 

西南戦争時にせごどんが攻めても落ちなかった熊本城

がまだす! がまだす!

 

 

予想以上に被害の大きかった熊本城をあとにして次に向かったのは、

上天草 大矢野島の北部に建つ三角灯台 到達

無事到達できたことを”えべすさん”に感謝。

 

以上で今日の訪問地はすべて終了

今来た道を戻って今夜の夜間休息地へ

え!何で戻るのかって?  それはね、長崎から船に乗って♬ 〇〇にむかう~♬

 

今日は一日中 文句なしの「晴れ」

九州での空模様の記録

 晴れの日   6日

 曇り、雨の日 5日

鼻の差で「晴れ」の日が先行してるが、今後ダントツ?の逃げ切りを期待したい。

 

 

次に向かうのは、あなたの街かも?

あなたと一期一会できたら\(^o^)/。

 

最後までお付き合いありがとうございました。

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では、また次回にお会いしましょう。

 

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