おっはよ~ございま~す。
さまよい旅のじじいで~す。
今日は、4月26日の旅の話です。
夜間休息でお世話になった 道の駅 笠岡ベイファームです。
名前にファームとついてるだけあって
開花時期さえ合えば、見事なお花畑が・・・
凄いでしょう 圧倒されますでしょ
車にポピー♬ ←古のCMです。
こんなのが目に痛いほど咲き乱れるのも・・・時間の問題です。
ですが・・・咲くのを待っていられるほど暇じゃありません。
今日のメインゲストは、
■六島灯台
六島への連絡船が出ている 笠岡港 住吉乗り場に到着です。
↑ 六島灯台のおさらい。
どんより曇り空で無理して立ち寄りしてもと、悩みに悩んで乗船は諦めました。
水仙の咲く頃に訪問したいと思います。
そろっとガソリン補給の頃合いなので、
ENEOS 笠岡北SSに立ち寄り フルサービスのお店ですがリッター155円とお安いお店でした。しかも
店舗に入ったら ”ご自由にどうぞ” 心に沁みるおもてなしです。
遠慮なくコーヒーを頂きました。
一宿一飯の恩義じゃありませんが、フルサービスで、単価が安くて、コーヒー無料。
うれしさのあまりにブログで紹介させてもらいました。
■鬼ノ城(キノジョウ)
三重県熊野市の鬼ヶ城(オニガジョウ)という世界遺産登録の景勝地ではありません。
城跡に繋がる道がとにかく狭い!
所々に待避所があるくらい狭い。どうか対向車が来ませんように。と願いながら進む。
ようやくビジターセンターがある駐車場に到着。
こちらがビジターセンター
100名城スタンプは、入り口に置かれていました。
ビジターセンターは入場無料だったかな?
入ってみました。
多くの展示物からひとつだけ紹介
土塀の作り方の説明です。少しずつ突き固めて作っていったとの事です。
鬼ノ城全体のマップです。ビジターセンターは左上です。
先ずは、有名な西門に向かいます。
健常者用の登城口です。
西門までは、車いすの方でも見学可能なように車いす用の通路も作られていました。
角楼です。向こうに西門の屋根が見えてます。
ビジターセンターで説明があった土塀
土ですから雨風にさらされれば現存する訳も無く、再現した物でしょう。
でもこの高さは、すごい。 土塀と言うより土壁ですね。
西門 城内から
西門 正面から
鬼ノ城の紹介番組で、良く登場するところです。
横から
学習広場(展望台)から
アップして
西門から見た学習広場です。
学習広場の入り口
学習広場の入口あたりに”鍵石”という文字があったのですが、広場に来てみると???なんの説明も無い。おそらくこれかな?という事でぱちり。
土壁を自然に任せて、土の崩れ方も観察していると説明にはありました。
西門からさらに先に進みます。
土壁の補強でしょうか?石畳が続きます。
大概の人は、西門でUターンするのでこれから先は人に会うのはまれになります。
水門です。
南門です。
南門のちょっと先の石垣です。高石垣かな?
説明看板はあちこちにあるんですが、現物との突き合せが出来なくて???ちょっと消化不良になりました。
この辺で引き返しました。1周ルートの良くて1/3程度でしょうか
信長の命を受けて中国平定に出陣した秀吉が水攻めした城として有名ですね。
ものの見事に遺構は残っていませんでした。 みんな水に流れた?
確かに秀吉の築堤より本丸の高さが低いので、水が溜まれば闇夜に乗じた兵糧の補給も出来ずにやがて高松勢が餓死するか、降参するかを待っていればよかった秀吉ですが・・・ここで歴史は、思わぬ展開を
本能寺の変で信長が明智光秀に打ち取られる。天下取りに無二の好機と進言する黒田官兵衛
信長が死んだことを毛利方に知られる前に京に戻り信長の仇を討ちたい秀吉、高松城の城主の自害と引き換えに戦を決着し、世にいう「中国 大返し」で、予想を超える速さで京に戻り光秀を打ち天下人の足掛かりをつかんだ秀吉。
ここで疑問が? 少ない人数なら大返しも可能かもしれないが、大軍を大返しするためには、途中途中に兵士の大量の飯や水 わらじを用意する必要があるが、降ってわいたような本能寺の変でそこまで迅速に対応できるものだろうか?
ひょっとして秀吉は、本能寺の変を事前に知っていたんじゃないか?という疑問を資料館の館長さんにぶつけてみたら、信長も中国攻めに出てくる手はずになっていたので、途中の用意はできていたんじゃないか?それを秀吉が大返しに利用しただけとのご意見だった。じじいの生半可な知識では返り討ちにあって轟沈。(長くなってすみません)
藏を移築した資料館
広くは無いが、それだけに味のある資料館でした。
新しい資料館が作られて、あと1ヶ月ほどでこの資料館はおしまいとおっしゃってました。資料館としての役目は終了しても藏は残すべきだとじじいはご意見申し上げたが、どうなる事やら??? 壊すのは簡単、もったいないのう。
備中高松城攻めの布陣
昭和60年6月24日から翌朝までの豪雨での水害の様子
城は、低湿地で雨の溜まりやすい場所だったようだ。
低湿地(ぬかるみ)が敵からの攻めにくさになっていたんだろうが、まさか堤防を作られて水攻めにされるとは夢にも思っていなかっただろう。
築堤が現存する蛙ヶ鼻築堤跡
兵どもが夢の跡 今は、何も残っていない。
<余談>高松城の水攻めをまねしたのが、石田三成 埼玉県の忍城を攻める際に水攻めで築堤したが、落とせず。秀吉と三成 何が違っていたんだろうか?
現存する”石田堤”は何を語る?。
道路わきに路駐して、
道路わきの小道を進む
こんな標識があったが、”関係者以外”がなんだって? どうしろと言うんだ。と勝手な言い訳で侵入。
道路に沿って進む。ソーラーパネル群が途切れると道は、砂利の小道に。
先人の情報では、海岸まで釣り人が行き来する道を進む。とあったが???
今流行りのグランピング? 私有地につき立ち入り禁止の立看こそないが、無断で入っちゃだめだろう 状況に変貌していた。見つかったらそんときゃそん時とばかりに堂々と進む。←ええんかいな? ええ訳なかろう!
海と反対側の小高い場所には、〇〇〇があった。(名前が思い出せん。)
遠くに灯台が見える。
ここを下れば海岸に出れる。 海岸に出ればこっちのもん。
しばらく砂浜を歩くと岩の海岸に。 なんとなく到達できそう。
でも潮が満ちてる時は、ダメっぽい。 訪問時刻が良かったみたい。
到達
蓬埼灯台 昭和三十七年八月 初点
灯台からの海
サカケの鼻灯浮標が見えた。
帰りに気づいたロープ 釣り人の現役ロープかどうかは?
ロープが下がっている場所の上の状況
釣り人にも会わず、グランピングの人にも会わず砂利道まで戻ってきた。
海岸にロープが下がっていたので、そこに行くための道があるはずだと見ながら歩いていると何やら道のようなものが。
なんとなく奥に続いているような???
私の出番は、ここまで。この先の調査は、君の出番だ。期待しているぞ。
以上で、今日のメインゲストの紹介は終了。
この後は、今日の夜間休息地 西脇海水浴場の駐車場へ
海水浴のオフシーズンはトイレも閉鎖されることが多いが、ここは開いててよかった。
海も穏やかで眺めの良い所でした。
傍らにこんな看板が・・・
全くそのとうりです。
今、マイクロプラスチックが環境破壊として問題視されてます。
海だけでなく地下水からも発見されたそうです。水道水を作る際に濾過されればいいんですけどね。どうなんだろう。怖い未来がすぐそこに。
宇宙船 地球号を破壊し続ける人間に未来はあるのだろうか?
その前にじじいの寿命が尽きるが・・・
次に向かうのは、あなたの街かも?
あなたと一期一会できたら\(^o^)/。
最後までお付き合いありがとうございました。
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では、また次回にお会いしましょう。
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