快走じじいの回想録

北の大地、南の島 旅の思い出をゆる~く。・・・時々今

ぼろぼろの近畿編 4日目

梅雨空に祟られて「身も心もぼろぼろ」になることを承知で6月6日に発進した東海・近畿の車旅。

 

旅の轍

 

2022年6月9日 道の駅 柳津で4日目の朝を迎えました。

ここから岐阜城が見えるんです。

ね! 見えるでしょ。 今日は先ず岐阜城に向かいます。

 

岐阜市内を走っていると、目の前に。・・・調べました。

岐阜シティー・タワー43 43階建てのマンションだそうです。最上階は展望台になっていてしかもエレベーターも展望台もすべて無料だそうです。羨ましいぞ、岐阜市

 

長良川越しの岐阜城

ここでヒヤッとする事が・・・

路駐して河原に降りてパチリして戻ってきたら、白黒ツートーンの車が・・・

やっちまったか?と内心ドキドキ。でも何も言ってこないのでそろ~っと現場を離れた。 フ~~~ 助かった~。

 

鵜飼の屋形船 もう営業中

 

無料のP 岐阜公園第3P (錦岩緑地帯P)

無料の裏には、こういう理由が。 でも今日は大丈夫でしょう。

 

岐阜城が建つ金華山へは、いくつかの登山道とロープウエイで上がる方法があるが、当然ロープウエイで上がる。

こんな道を通ってロープウエイ山麓駅に向かうが、

傍らにこんな像が、

紫陽花がきれい。

水門 ロボットに見えるんだが、最初から意図してたのかな。

実用一点張りより、プラスαの遊び心がある方が好き。

 

左は登山道 階段が終わった先に険しそうな山道が、右は山麓駅へ

山麓駅に到着

 

 

山頂駅の傍らにリス園があって、柵越しにリスが見えるんだが動きが速いのでパチリで捉えきれない。

岐阜城までは山頂駅からさらに登る。

ようやく天守が見えた。

この日はとんでもなく暑かったワン。

城の歴史は鎌倉時代に遡るが、クローズアップされるのは、斎藤道三が入城してから。

・天文8年頃(1540頃)斎藤道三が改築し入城。この頃は「稲葉山城」と称す。

・永禄10年(1567)8月 織田信長が攻城、信長は稲葉山城に居城を移し「岐阜城」と改称。 岐阜城下において楽市楽座を保護するなど城下の発展を計る。

天正4年(1576)信長、安土城に居城を移す。

・その後、織田信忠、信孝、池田元助、輝政、豊臣秀勝織田秀信と城主が変わり秀信の代に関ヶ原の合戦の約1ヶ月前の慶長5年(1600)8月 東軍(徳川軍)の福島正則池田輝政浅野幸長に攻められ開城、以後金峰山に城郭は作られなかった。

・東軍に元城主の池田輝政がいて城の構造を熟知していたのも勝利の一因か?

池田輝政岐阜城から豊橋の吉田城に移りその後姫路城に移っている。

明治43年(1910)模擬城が建設されたが昭和18年2月に焼失

・昭和31年に外観復興天守として再建 現在に至る。

名城スタンプは、こちらで貰いました。

黄金の信長像

本能寺の変後に弔う為に作成された座像(レプリカ)

遠眼鏡

天守からの眺め

日本1,2位を争う標高が高い城跡 まるで航空写真の様。

遠足かな? この中から将来の信長が生まれるのかな? 生まれてほしいな。

山頂駅から少し上がったあたりにあるレストラン、屋上が展望台になっている。

夜景が最高なんだろうな・・・と思いつつ、一人で観る夜景ほど詰まらんものは無いと思いながら下城。

 

山麓駅の近くに建つ三重塔

 

さらば、岐阜城 もう会う事も・・・無いと思う。

 

岐阜城に別れを告げ、大垣城に向かっているとこんなビルが・・・

ソフトピアジャパンセンター

大垣市のIT企業がメインで入るビル。 最上階は展望台

 

奥の細道むすびの地 第2Pに停める。 無料とはうれしいの~。

中央の小路を進むと大垣城が建つ公園にぶつかるのでぶつかったら左へ。

ここから公園内に入る。

さすが、水の都(と呼んどるか?わしゃ知らんけど、大垣の地下水は有名じゃ)噴水の周りで水遊びが出来る造り。

こんな仕掛けも。 パチリではよ~分からんがミスト噴霧で涼し~い。

戸田氏鉄公騎馬像と大垣城

名城スタンプはこちらで貰いました。

慶長5年(1600)9月14日 関ヶ原の合戦の前哨戦と知られる「杭瀬川の戦い

 

徳川家康が上杉討伐の為に大阪を離れた隙に、家康打つべしと兵を挙げた石田三成、ここ大垣城で家康を迎え撃つために8月11日に入城。

・当分動けぬと思っていた家康が9月14日に美濃赤坂に着陣。(早過ぎ~)

家康の着陣を知って西軍の兵たちに動揺が走る。

・兵たちの動揺を鎮めるため、三成の家老 島左近が500程の手勢を連れて杭瀬川を挟んで自ら局地戦を仕掛ける。宇喜田秀家、明石掃部が左近をバックアップ。草原に潜んで深追いしてきた敵を側面から攻撃。

島左近の計略にまんまと乗ってしまった東軍。戦は西軍(島左近)の大勝利に終わり西軍の兵たちの士気も大いに上がる。

この戦いが西軍の唯一の勝利ともいわれている「杭瀬川の戦い

 

 

・これを見ていた家康、城攻めではなく得意の野戦に持ち込みたいと強く思ったであろう。そのために、大垣城を攻めず佐和山城を攻撃するとの噂を流し三成を城から引っ張り出そうと策をめぐらす。

家康が恐れるのは、大坂城の西軍の総大将 毛利輝元が秀頼を擁立して関ヶ原に出てくること。もしそうなれば三成憎しと家康に与している福島正則など豊臣恩顧の武将たちもどう転ぶか分からない。やっとの思いで凋落した小早川秀秋もどうなるか分からない。

吉川広家毛利輝元が出てきたんじゃ、動くのは嫌だといつまでも駄々をこねている訳にもいかず。

 

どうする家康!

う~~~~ん、う~~~~んう~~~~ん、

 

・一方の三成も、家康の噂はともかく関ヶ原に陣取る小早川秀秋、毛利方の吉川広家の挙動に不信を持ち、家康より先に関ヶ原に布陣すべく14日の夜半に家康に悟られぬように山越えで関ヶ原に移動を開始。これを知った家康も中山道関ヶ原に陣を進める。

 

大垣城の近くにある大垣市郷土館

ここで、大垣市内の自噴している地下水の場所を教えてもらい建物の外に出たら

ここにも大垣市の名水が湧き出ていた。 高札にも飲めると書いてあるので給水させてもらう。 ありがたや。

 

スーパーバローで食料を調達し、

 

道の駅 池田温泉  右に曲がれば日帰り温泉、左に曲がれば道の駅

今日は、こちらにお世話になります。m(__)m

池田温泉 新館 本館と新館があり、Pからは新館が近いのでこちらでちゃぽ~ん

これ以上 奥をパチリすると・・・

道の駅には足湯がありました。

レンタル電動自転車がありました。

Pも広め、

トレーラー付きのキャンカーが停まっていました。

トレーラーのバック。

 

今日の走行距離 45km 累積 663km

明日は、天下分け目の関ヶ原に向かう。

 

 

最後までお付き合いありがとうございました。

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では、また次回にお会いしましょう。

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