梅雨空に祟られて「身も心もぼろぼろ」になることを承知で6月6日に発進した東海・近畿の車旅。
旅の轍
戦国時代の三傑 織田信長、羽柴秀吉、徳川家康を生んだ尾張、三河は歴史の舞台に登場する城跡が多くて城巡りをしていても羨ましいかぎりじゃ。
犬山城はなんと!、最近まで個人所有の城だった。
・・・江戸時代の話じゃないよ。 平成に入っても個人所有だったんだ。
13:37 到着
小ぶりの天守ですが、バランスが取れていて観ていて飽きない。
模擬天守のお手本になる事も分かる気がします。
大手道入口
登城します。
本丸入口(入城門)
本丸入口の2階に管理事務所があり、そこで名城スタンプを貰う
・天文6年(1537年)織田信長の叔父 信康が築いたと言われる。
・中山道と木曽街道に通じ、眼下に長良川が流れ舟による交易もあり政治経済の要衝として秀吉も家康も喉から手が出るほど欲しがったといわれる城で、関ヶ原の合戦以降徳川方の武将が入城する。
・天和3年(1617年)二代将軍秀忠公から尾張徳川家の付家老(家康が任命した家老) 成瀬正成が拝領し以後幕末まで成瀬家が代々城主を務める。
・明治4年(1871年)廃藩置県で愛知県の所有となり天守以外のほとんどの建物が破却される。
。明治24年(1891年)濃尾大地震で天守が半壊するという被害に遭い、同28年に修理を条件に成瀬家に譲渡され成瀬家と犬山町民が集めた義援金で修復した。以後、成瀬家個人が所有する城として保存・公開されてきた。
・平成16年(2004年)に天守保存の将来を考えて「財団法人 犬山城白帝文庫」を設立し所有権を移管し現在に至る。(ほとんどの城跡は、当該自治体が管理しているので法人と言えども自治体以外の団体が管理する城跡は全国的に見ても珍しい)
・成瀬家の御子孫は今でもお城の近くにお住まいだとか。
・名実ともに城持ちの最後のお殿様だった成瀬家、濃尾地震での半壊の修復には莫大な資金が必要だったと思われるが、今日犬山城天守の優雅な姿を見られるのも成瀬家及び犬山町民のご尽力があればこそと城好きの一人として感謝申し上げます。
上段の間(畳敷きの部分)とその奥の武者隠し部屋
上段の間 籠城戦の時の城主の居場所
武者隠し部屋 城主を守るため万が一の場合に備えて侍が待機する部屋。
板戸が重くて開くのが大変らしいとの話がある。
万が一の時に間に合うのか心配。敷居すべりを貼ろう。
侵入してきた敵を落とすために急なのだとか。
そう言われてみれば納得。
天守からの眺め
眼下を流れる長良川
赤丸部分が、小牧山城 その向こうのビル群が名古屋の中心部だから、名古屋城、小牧山城、犬山城はほぼ一直線上に並んでいる。
小牧・長久手の合戦時は、秀吉も見たであろう景色。
この城は、じじいが16歳の頃に他の城も含めて初めて登城した城。
じじいの城巡りの源点ともいえる城だけに感慨深いものがある。
名残は尽きぬが、そろそろ今日の夜間休憩地へ
15:20 イオンビッグエクストラ各務原で今夜の食料を調達。
16:40 道の駅 柳津 今夜はこちらにお世話になります。
道の駅の展望台
この道の駅は、県道1号に面しているが中央分離帯があるので岐阜市方面からしか入場できない。グーグルナビでさえぐーるぐるしてしまった。
今日の走行距離 98km 累積 618km
明日は、岐阜城に向かう。
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では、また次回にお会いしましょう。