あったてんがの
これは、2015年に西日本を怒涛の如く一周した時の思い出話です。(古!(^^♪)
5月25日 日本一周 怒涛の西日本編 13日目
道の駅きんぽう木花館で朝を迎えました。
朝の6時です。 車旅の先輩が出発前の洗車中。行く先々で少しでも不快な思いを与えないように、じじいも見習わなくっちゃ。(←じじいは先ず、髭を剃れ!)
7:15 人形岩
9:10 熊本県入り ぴよ~ん
12:00 熊本城まで3km
12:15 熊本城 到達 清正公(せいしょこ)さん 直々のお出迎え。じじいごときに畏れ多くももったいのうござる。
西郷隆盛に「おいどんは政府軍に負けたんじゃなか、加藤清正に負けたんじゃ」と言わしめた難攻不落な城。 慶長12年(1607)加藤清正公が築城
先ずは、加藤清正公神社にお参り
明治10年(1877)2月17日 兵をあげた西郷隆盛率いる薩摩軍は、当時鎮台(※)が置かれていた熊本城を攻めるべく兵を進めて来るなか、2月19日に焼失 出火原因は失火、放火諸説色々。 その3日後の22日に薩摩軍の攻撃が始まる。戦いは50日程続くが落城せず。現在の天守は、昭和35年に鉄筋コンクリートで再建された外観復元天守。
平成28年(2016)4月14日21時発生の熊本地震で甚大な被害を受けて修復中、天守は令和3年6月から内部公開が始まったが、櫓や石垣の修復などすべて終了するのは令和19年頃の予定。
※ 鎮台:明治政府が全国の要所要所に置いた政務軍事拠点。
高石垣の反りが見事です。
宇土櫓の石垣
2015年の訪問時には、石垣に孕みが出ているので熊本大学と調査中との掲示物があったので、石垣の孕みなら弘前城に相談すれば・・・と思った。話は逸れるが青森県弘前市の津軽為信築城 弘前城も石垣に孕みが出て現在天守を移動させて石垣の修理中。どうやって天守を動かしたと思う?・・・・ウルトラマンの力を借りたんじゃ。 これ、本当の話。(この話もいずれUPしたいが・・・じじいの気力次第だな)
宇土櫓と平左衛門丸続櫓 これで櫓だなんて、どう見てもりっぱな天守だよな~。
戌亥櫓 明治に解体されたが、平成15年(2003)に木造復元された。
熊本地震の際、角石だけで支えられて倒壊を免れた櫓。
さすが清正公が作った石垣じゃ、あれだけの地震によ~耐えたもんじゃ。
頬当御門 天守への正面入り口
南大手門櫓
総ての修復が終わったら訪ねてみたいが、・・・早くて15年先か~ ながいの~。
続いて阿蘇山へ
米塚
草千里ヶ浜(じじいパノラマ)
馬で散歩したり
お金があれば空からも。
ん?ロープウェーが動いとらんようだが・・・・
がーん! 調査不足がここでも。



しょうが無いからお土産コーナーをぶら~り。
コロナ禍で、ゆるキャラの出番も無くなり、くまモン、ふなっしー 元気か~ ひこにゃんも。(ひこにゃんは、怒涛の四国編で登場予定)
さつきかの~
阿蘇の牛君
16:40 道の駅阿蘇に到着
現在は分からんが訪問時は無料で使えるコンセントが5口 有料でも十分ありがたいがの~
道の駅 阿蘇 今日は、こちらにお世話になります。m(__)m
本日の走行距離 268km
『 LOVE LOVE くまモン
こん愛は阿蘇山のごたる
ホカホカ
LOVE LOVE くまモン
世界中 ひのくにパワーで
元気、元気』
(LOVE LOVE くまモン~hapy rap~熊本弁バージョン 作詞 有定千裕)
次回は、長崎平和公園、日本本土最西端 神崎鼻を経て道の駅昆虫の里たびら まで
いっちゃぽ~んさげた
日本ブロブ村のバナーのどれかひとつをポチっとしてもらえるとじじいの脳に刺激が・・・ ぼけ防止の人助けだと思ってお願いじゃ~。
お~! 今のポチは、 効いた~ ありがと。