あったてんがの
これは、2015年に西日本を怒涛の如く一周した時の思い出話です。(古!(^^♪)
今回も1日の行動を分けて今日は、知覧特攻平和会館まで。
5月24日 日本一周 怒涛の西日本編 12日目
道の駅たるみずで朝を迎えました。
桜島の降灰を被ることなく朝を迎えられました。
6:00 知覧特攻平和会館へ向かいます。
特に大きな噴火があった訳でもないのにこんな感じで火山灰が溜まってる。
どういう理由でパチリしたかは忘れたが、今見ると「安いぜ!!」「信じられねーぜ!」・・・このまま無為無策のまま燃料油の高値が続くと”貧乏人は健康のために歩け”と言われているようで、2022年春の旅も計画すらままならず。・・・
7:18 鹿児島市内 高見馬場交差点通過
7:23 市電 駒射場駅 通過
7:47 ロケット広場公園のH2ロケットの実物大模型 初めて見たときは、JAXAの秘密基地か? と思った。
8:11 知覧武家屋敷庭園 街あたりを通って
8:21 知覧特攻平和会館 到着
陸軍一式戦闘機 Ⅲ型甲 隼 陸軍九七式戦闘機に次いで出撃機数が多い。
映画「僕は、君のためにこそ死ににいく」で使われた撮影用のレプリカ
特攻像「とこしえに」
特攻の母 鳥濱トメの像
海底から引き揚げられた戦闘機の残骸の数々
海底から引き揚げられた、海軍 零式艦上戦闘機
ここ知覧は、陸軍基地なのでここから海軍の戦闘機が飛び立った事は無いが、貴重な特攻遺品であることは間違いない。
全国から寄進された灯篭の数々
特攻平和観音堂
『おばさん 本当にお世話になりました
俺の分まで長生きして幸せに暮してください
ああ・・・・それから母には
今日が俺の命日だと そう伝えてください』
(知覧にて)
じじいは、西日本一周旅で呉市の大和ミュージアムにも立ち寄っているが、そこでは巨大戦艦を作る技術が戦後の復興に役立った事で未来に繋がっているという思いがしたが、ここ知覧では数えきれないほどの遺書、遺影、遺品 「明日が無い、どうしようも無い絶望感」だけが今も鮮烈に頭の中に残っている。” 最初から生きて戻れぬと分かっての出撃 ”これほど残酷で非人道的な作戦があろうか。・・・・作戦という名に値するのか?
以前から散発的な特攻はあったが、本格的な特攻は、昭和20年4月1日 米軍が沖縄に上陸後の4月6日の第1次総攻撃から始まり終戦まであと1ヶ月足らずの7月19日の第11次総攻撃まで続いた。(拒否できぬ志願制、軍上層部は、特攻で本当に戦争に勝てると考えていたのか?)
知覧を含む九州、台湾の各基地から出撃した特攻戦死者 総数1,036名 うち知覧からは439名が出撃し戦死。 合掌
(今日は、この辺で)