あったてんがの
今日は、昨日の「流氷ツアー」から羽田に帰ってきたあとの話じゃ
夜の11時頃、羽田に戻ってきたじじいは「うみほたる」で夜間休息の計画じゃったが、その日はあいにく金曜日、元気のいい兄ちゃん達がええ車で遊びに来ていたので「うみほたる」を断念し 道の駅 鋸南に向かって夜中の道を走りやっと夜間休息。翌朝鋸山で肝試しをしてから「関東編」のメインである「水戸 偕楽園」に立ち寄り、仕上げに「高崎白衣大観音」様にお参りして越後の国の秘密基地に帰還したんじゃ。
徘徊経路じゃ (羽田から偕楽園まで)
「うみほたる」には、関東の若武者達が居てゆっくり夜間休息が出来んかも?
心配性のじじいは、
ナビ子航海長 進路を 道の駅 鋸南に変更じゃ
ナビ子 道の駅 鋸南? じじいには遠いよ。大丈夫か? 居眠りするよ。
うるさい! 進路を変更しろ!
・・・(言い出したら絶対に人のいう事なんか聞かないんだから、事故っても知らんからね~)
2019年2月24日 道の駅 鋸南で夜間休息した後
(海辺のえ~道の駅じゃったが、パチリし忘れてしも~た。)
10:30 鋸山山頂展望台 地獄のぞき
先端に向かって下り坂 う~ん さすがに チビ ビビった。
日本寺大仏
鋸山は、日本寺の境内になっており、山頂との通路には、五百羅漢などの石仏も。
梅かの~ きれいに咲いとった。 (間違っていたらごめん)
24日 道の駅 いたこ で夜間休息。
25日 13:00 水戸偕楽園に到着 「静の道」を通って
「動の道」へ、梅はまだ少し早かった。
好文亭からの仙波湖
特急 ひたち かの~
25日 道の駅 よしおか温泉で、旅の疲れを癒してそのまま夜間休息。
26日 13:00 慈眼院 高崎白衣大観音 高さ40mちょい 中を登れるんじゃ。知ってた?・・・あっ そう。 ふ~ん しってた。・・しょぼん
参道で買い求めた「だるま」 色の意味は、過去記事「鬼は~そと。」↓をクリック。
14:00 ひびき橋(白衣大観音の裏手にあたる場所)
この後、雪の峠を越えて(もちろん関越TN)越後の国の秘密基地に帰還したんじゃ。
雪が降らん(少ない)と言うだけで、じじいには関東がうらやましい限りじゃ。
水戸と言えば黄門様、 黄門様と言えばこの歌。
『人生楽ありゃ 苦もあるさ
涙のあとには 虹も出る』
(あゝ人生に涙あり 作詞 山上路夫)
(あとがき)
亡き親父が毎週かかさず見とった。その頃は、決まりきったストーリーで何が面白いのか???と思ちょったが、じじいも最近はまってしも~た。歳かの~。
毎回 悪代官と悪商人の悪だくみを、印籠一つでバッサリ解決というストーリーじゃ。
黄門様の番組がという意味ではなく、ドラマで耳にする表現に悪商人の屋号として 越後屋が時々使われるようじゃが、脚本家は薩長の出かの~? 越後 長岡藩 家老 河井継之助の小千谷談判での和平交渉を蹴った結果、北越戊辰戦争になってしまい薩長側にも大勢の犠牲者が出た事を今でも根にもっとるんかの~?
>>根に持っとるのはじじいだろうが! 話がズレてるぞー、ねちねちとよう書くわ。!!
すまん、すまん、話がズレてすまんかったの~。 雪が消えたら、継之助の足跡でも辿ってみるかの~ 八十里峠越えは無理じゃがの~
侍の世の終わりを知りつつ 侍であり続けた男
八十里 こし抜け武士が 越す峠
次は、三名園繋がりで、「兼六園」「後楽園」といきたいところじゃたが、またしても「兼六園」のパチリが無い。前田のお殿様も一緒に探してくだされ。 とほほ。
いっちゃぽ~んさげた
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