あったてんがの
これは、2015年に四国を一周した時の思い出話です。(古!(^^♪)
駆け足で周った四国の旅も今日が最終日。
10月21日 日本一周 秋の四国編 13日目
道の駅倶利伽羅源平の郷で朝を迎えました。
いつもの道をいつものように越後の秘密基地に帰還したとさ。
旅のまとめ
・旅の期間 2015年10月9日~21日(13日間、内 四国漫遊は7日間)
・全走行距離 3,003km
・全費用 42,934円
※過去の旅も含めて、四国への連絡橋はすべて制覇。
古い話だが、今は無くなった宇高連絡船にも乗ったし、瀬戸大橋に併設されている電車にも乗った。だから次四国に渡る時は、フェリーだな。もう瀬戸大橋上の風は懲り懲り。
おしまい。
ちょっと待った~~~。藩の接待方からたまには越後の国も紹介しろ。というお叱りの声が聞こえてきそうなので少しだけ・・・越後の国の交通の難所「親不知、子不知」を紹介します。(パチリの寄せ集めでの編成ですので日付もマチマチです。m(__)m)
越後の市振という集落(地図上の左下)と青梅(地図上の右上)という集落の間は、飛騨山脈(日本アルプス)が日本海に突き刺さったような地形で、特に天険トンネルのあたりが最も難所だったようです。旅人は波打ち際の窪みに身を隠し波が引いた時を狙って次の窪みまで走ったとの事です。ですので不幸にして渡り切れずに波にさらわれた旅人も多くいたようです。そのような難所なので親子でも親を、子を気遣う余裕がなく「子は親を知らず、親は子を知らず」と呼ぶようになったようです。
そのような難所なので、道は第1世代(波打ち際)から第4世代(北陸自動車道)の4経路、鉄路も第1世代(単線)から第3世代(北陸新幹線)まで時代に応じて建設されました。
(地図は、地理院地図を引用、書き込みはじじい)
①:親不知記念広場(展望台)
②:現 日本海ヒスイライン(元北陸本線)のトンネル、第2世代の鉄路
③:波打ち際 第1世代の道
④:レンガトンネル 第1世代の鉄路
⑤:ウォルター ウェストン像(日本の近代登山の父)
⑥:第2世代の道の岩肌に彫られた「如砥如矢」の文字
⑦:親不知コミニュケーションロード 第2世代の道
⑧:天険トンネル 第3世代の道 第2世代の道の脇のトンネル
⑨:北陸自動車道 第4世代の道
⑩:北陸新幹線 第3世代の鉄路
では、西側から順に紹介します。
海道の松 第1世代の波打ち際を通るしかなかった時代は、越中方向からの旅人はこの松から先がいよいよ難所、逆に越後方向からの旅人はこの松を見て難所が終わったこと知り安堵したそうです。 樹齢230年以上と想定される黒松でしたが、平成28年(2016)10月の台風で残念ながら根元から折れてしまいました。
⑦ 第2世代の道 親不知コミュニケーションロードの西(市振)側入り口、トンネルは第3世代の道 天険トンネル 車の方は、トンネルを抜けた左側にPあり。
第2の道を歩きます。遊歩道ですので歩行者専用です。
波打ち際でも、とてもじゃないが歩けません。
⑥ 岩肌に刻まれた「如砥如矢」 明治16年に完成した中腹を削って作った第2の道を砥石のように滑らかで矢のようにまっすぐだと例えて岩肌に彫ったそうです。
⑤ ウェストン像 ウォルターウェストン 山登りが趣味の人はご存じでしょう。日本アルプスなどの日本の山を世界に紹介した宣教師。親不知が日本アルプスの起点であると紹介し親不知にも訪れている。そんな縁で「海のウェストン祭」を開催しているそうです。ここには、栂海新道という北アルプス(朝日岳)に繋がる登山道の登り口があります。まさに海抜0mからの登山道です。但しコースガイドには超健脚向きとあります。
第1世代(波打ち際)と第3世代(洞門)と第4世代(海に突き出た自動車道)の道
階段を上がれば第2世代の道へ、正面を進めば海岸へ降りられる。
④ レンガトンネル(第1世代 鉄路、旧北陸本線)大正元年10月開通、複線化に伴い昭和40年でその役目を終える。今は整備されてトンネル内を通行可能(パチリは整備前)、向こう側からは第2世代の道 親不知コミュニケーションロードに繋がっている。懐中電灯必須との事です。
③ 波打ち際 第1世代の道
⑧ 東(青梅)側の第3世代の道 天険トンネル トンネル手前の右側に糸魚川市の無料駐車場があり、近くに親不知観光ホテルも建っています。
② 第2世代の鉄路 現日本海ヒスイライン(元北陸本線)のトンネル
① 親不知記念広場 展望台があります
展望台からの眺め。
愛の母子像
(ここまで纏めてきてふと思った。公式HPより中身が濃いぞ。えっへん! 公式HPならリンク貼ってもえ~よ。)
ここの自販機で買った「仮面サイダー」ネーミングののりだけで買った。
中身は普通のサイダー、今は自販機が無くなったようです。
次に紹介するのは、能生漁港の近くにある弁天島。
弁天島へ渡れます。
能生漁港とその向こうに道の駅能生 カニの直売で超~有名
社がありました。厳島神社
能生灯台 灯台としては廃止 弁天島のシンボル
と、このくらい紹介しとけば、しばらくは大丈夫だろう。
『旅の夜風に汽車の音が
越後 筒石 親不知』
(越後情話 作詞 荒木とよひさ)
次回は、日本一周の最終章 東日本編ですが、東日本は今までのように1度でぐるっと周った旅が無いのです。すべて細切れ、それらを繋ぎ合わせて東日本編にしようかと考えていますが、どこをどう繋いでいくか? 思い出す時間を頂きたくしばらくお休みするかも?。m(__)m
いっちゃぽ~んさげた
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